第23回「授菩薩三摩耶戒陀羅尼(じゅぼさつさんまやかいだらに) -“PDCAサイクル”と仏道-

(おん)。 三摩耶薩坦鑁(さんまやさとばん) 

仏と共に生きていく(仏のみ教えに従って生きていく)ことを決意する「発菩提心(ほつぼだいしん)発心(ほっしん))」によって、私たちは仏に近づいていきます。そうやって私たちが仏としての日常生活を送るようになることを「授戒(じゅかい)」と申します。「戒」も仏教の世界における代表的な思想の一つとして、当HPでも仏教講座における「修証義第3章」や「教授戒文(きょうじゅかいもん)」コーナーや、曹洞宗の通夜・葬儀といった法要儀式を通じて触れてまいりました。端的に申し上げるならば、「仏の生き方」が「戒」なのです。すなわち、歴代の仏と呼ばれてきた方々の修行を自らの日常生活の中で体現しながら、自分が発する言葉や行いを調えていくことが、「戒」の指し示すところなのです。

そうした発菩提心(発心)によって、戒を授かった者が、仏の御子(みこ)(弟子)となり、仏の世界の仲間入りを果たしたことを宣言しているのが、「授菩薩三摩耶戒陀羅尼」なのです。

煩悩(ぼんのう)(かたまり)」という言葉があります。日頃、煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)に満ち、我が身心を調えることを怠りがちな私たちですが、それゆえに、仏教では死を迎えたとき、生前の煩悩を断ち切って、身心を調え、仏の世界の一員として、あの世に旅立っていくと説く一面があるのでしょう。ところが、そこだけに着目すると、戒を授かり、仏の生き方を行じていくのは死んでからのことでいいのだという解釈が成立することにもなりかねません。

大切なことは、「生きている間に、いかに自分の身心を調え、仏に近づくか」ということなのです。自分の死を待ってから仏に近づく(成仏する)のではなく、いのちある今こそ、「成仏の機縁」と捉えながら、毎日を過ごしていくことなのです。この点については、これまで幾度も提示させていただいたことですが、今一度、今回の陀羅尼を通じて、check(チェック・確認)しておきたいものです。

「PDCAサイクル」という言葉をお聞きになったことがある方もいらっしゃるかとは思いますが、plan(プラン・計画)・do(ドゥー・実行)・check(チェック・確認)・action(アクション・改善)という4つの行いを、あたかも円を描くがごとく、繰り返し繰り返し続けながら、事を進めていくことです。そうすると、どんどんどんどん、いい方向に向かって進んでいくというのです。このサイクルにおいて、一つ一つの過程が大切であり、何か一つでも抜けることがないように留意していくことが欠かせません。

この「PDCAサイクル」、「仏」の世界にも通じます。今回の一句を通じて、「PDCAサイクル」を描きながら、仏道を歩んでいきたいものです。