第41回「本来の面目(めんもく)

「元来の姿」や「原点」に目を向けてみる

令和4年の幕開けと共に、昨年末から懸念されていた新型コロナウイルスの「オミクロン株」による感染拡大が現実のものとなり、沖縄・山口・広島には1月9日より「まん延防止重点措置」が適用されました。コロナ対策においては、「後手後手」と批判された前政権を踏まえ、現・岸田内閣は先手先手によるスピード重視の判断がなされているようです。

こうした事例のように、何らかの選択肢が与えられるなどして、判断を迫られる場面というのは、我々の日常生活の範囲内を見渡してみても、誰しも心当たりがあるのではないでしょうか。その判断基準となるものは、各々、違いがあるとは思いますが、私自身、何らかの判断を迫られたときに基準としているものの一つに、「原点」があります。「原点回帰」という言葉がありますが、「そもそも、本来はどうだったのか?」、「元々はどんな状態であって、そこから何を目指していたのか?」、議論が長引き、中々、結論にたどり着けない問題や複雑で難解な課題ほど、原点に立ち返り、再度、本来の姿を思い返すことによって、難解と思えたことが簡単になり、問題の解決を見ることがあることがあります。是非、押さえておきたいものです。

そんな「原点」であったり、「本来の姿」であったりということを指す禅語が、「本来の面目」です。「面目」には「姿」とか、「様子」という意味があります。時間の経過や周囲の様々な存在との関わりによって、本来の姿や様子は、どんどん変化していって当然のものなのです。新たな価値観が育まれることもあれば、知らなかった事実を知ることによって、不安や恐怖に苛まれることもあるかもしれません。その結果、自分が得てしまったものによって、正確に判断する力が鈍ってしまうことが出てくるのです。そうした自分の正しい判断を鈍らせるようなものならば、そこに捉われることなく、捨て去ってしまう方策を身につけていくことの大切さを「本来の面目」は説いています。

同じ人間なのに、なぜか周囲から見たときに、調子がよさそうに見えるときもあれば、そうでないように感じる場面に出くわすこともあります。その原因に、悲しいかな、当事者が周囲の声を聴きすぎて持たなくてもいい考え方や視点をを得てしまっていることも一因のようです。組織をまとめていくときなど、周囲の声を聴くことは必須なのですが、そこに左右されて、組織のまとまりを欠くという事態にならぬよう、常に「原点」なり、「本来の姿」に目を向ける視点を併せ持ちながら、全体の幸せを願い、和合を推進していきたいものです。