一、菩提心(ぼだいしん)(おこ)すべき事

第2回「リーダーに求めるもの −吾我(ごが)の心生ぜず、名利(みょうり)の念起らず−

誠に()れ無常を観ずるの時、吾我(ごが)の心生ぜず、名利(みょうり)の念起らず。

道元禅師様は竜樹尊者(りゅうじゅそんじゃ)那伽曷樹那)(なぎゃはらじゅな)のみ教えを引用しながら、仏道を歩む上での重要ポイントとして、「菩提心を(おこ)すこと」を掲げられると共に、それは「世間の生滅無常を観ずること」であるとお示しになりました。仏の道を歩みながら、我が身心を調えていく上で、「菩提心の育成=無常観の養成」は外すことのできないポイントとして、しっかりと押さえておきたいものです。

引き続き、道元禅師様は「無常観」というものについて、具体的に「吾我の心」や「名利の念」という観点からお示しになっています。それが今回の一句です。「吾我」というのは、「自分に執着すること」を意味しています。前回、「菩提心を発す」ということについて、修証義の「自見得度先度他(じみとくどせんどた)の心を(おこ)す」という観点からも味わってまいりましたが、「吾我」というのは、「自見得度先度他」とは完全に真逆の「自分を最優先し、周囲に対する配慮が欠けている状態」を指しています。元来、私たちが生かされている娑婆世界は、縁起(えんぎ)の世界(万事が関わり合い、支え合って存在している世界)故に、いくら我が身を最優先しても、自分の思い通りに事がスムーズに進んでいくはずがありません。それなのに、私たちは、一人一人が自分をかわいがる習性を持っているがゆえに、自分を最優先させては、周囲への配慮に欠けた言動を発してみたり、真理を真理のままに受け止めることを困難にさせたりしてしまうのです。そうした状況をもたらす原因となるのが、「吾我」です。そして、そんな吾我を「離れる(捨てる)」ことによって、万事が時間との関わりの中で変化していくという道理を素直に受け止めていく姿勢が養われていくのです。そのことを押さえておきたいものです。

次に「名利」について触れておきます。これは「名聞利養(みょうもんりよう)」の略である言われています。「名聞」は「世間に名誉が広まること」であり、「利養」は「我が身に利益をもたらすように取り計らうこと」です。いずれも「吾我」と通ずるもので、「吾我」同様に、「仏道修行」・「私たちの身心の調整」の妨げになるものとして、遠ざけるべきものです。それを説いているのが、「吾我の心生ぜず、名利の念起らず」です。

任期満了に伴う石川県知事選挙は現職・谷本正憲知事の引退表明を受け、山野之義(やまのゆきよし)金沢市長始め3名が立候補を表明し、連日、選挙運動が過熱化しおります。山野市長は市長職を辞任して知事選挙に出馬するとのことで、知事選と市長選が令和4年3月13日に同日開催されるようです。今年は石川県はもとより金沢市や輪島市など、県内各地で首長交代が行われ、新たな時代の幕開けを予感させていますが、新しい首長には、自らの政策ビジョンがあると共に、誠実な人柄が求められているのではないかという気がいたします。

期を同じくして、我が曹洞宗も、本年は各地の宗議会議員や宗務所長が任期満了を迎えます。年が明け、その人事に関する会合が教区や各種団体で行われていますが、議員であれ所長であれ、これからの曹洞宗をどうしていくのかというビジョンを有し、疑惑や問題のない誠実な方が就任していただくことを願うばかりです。

政界も宗教界も、皆を動かし、引っ張っていく「リーダー」に関する議論が行われる中、特に宗教界のリーダーは、「学道用心集」の中で道元禅師様がお示しになっている仏道修行者に相通ずるような気がします。やはり、菩提心を発して、無常を観じながら、「吾我の心生ぜず、名利の念起らず」という方が適任なのでしょう。そして、私自身、リーダーになる・ならないに関係なく、一仏道修行者として、そういう姿勢を目指していきたいと思って、日々を過ごしています。