第43回 「言語道断(ごんごどうだん)

言葉で表現しきれないものも大切にしていく

「言語道断」は、一般的には相手の言動に対して、“もってのほか”という意を示すときに使用される言葉ですが、元々は禅語で、「言葉では言い尽くせない奥深い道理」という意味があります。

会話に手紙にSNSと、我々は普段、言語を使って、コミュニケーションを取ります。私たちの日常生活の中で、言葉が果たす役割は大きく、そのためか、我々は何事も言葉を用いて表現しようとしてしまいがちです。それゆえか、言語化・文書化できないものが信用できなかったり、、抵抗を感じてしまったりする場面も見受けられます。

しかし、何事も言葉で表現しきれるものではありません。以前、ある檀信徒のお宅に月参りにお伺いした際、さだまさし氏の楽曲「北の国から〜遥かなる大地より〜」の話題で盛り上がったことがあります。この曲は、故・田中邦衛氏(享年88歳)の代表作・「北の国から」の主題歌として有名ですが、そもそも、これはコンサートツアーで北海道を訪れたさだ氏が脚本家の倉本聰氏の富良野のご自宅に招待された際、倉本氏の強い要望により、10分程度で作られた曲とのことです。北海道の広大な大地をイメージしながら、「アー」や「ンー」のみで構成されているこの曲を、さだ氏は「もう二度と書けないくらいの完成度の高い一番素晴らしい曲である」と評していらっしゃいます。

この「北の国から〜遥かなる大地より〜」の世界観が、まさに「言語道断」が指し示す禅の境地と合致しているように思います。北海道の広大な大自然を言葉で言い表そうとすれば、何か適当な言葉が見つかるかもしれません。しかし、それは北海道の一側面だけを見た部分的な捉え方であったり、北海道のことをあれこれ調べたり、あるいは幾度も訪れたことによって生み出される表現のような気がします。初めて北海道を訪れた人が率直に抱く思いは、「アー」や「ンー」のような言葉にならない感動ではないでしょうか?だからこそ、「北の国から 〜遥かなる大地より〜」が40年近くたった今も、北海道をイメージする名曲として多くの人々の心に残っているのではないかという気がします。

言葉だけを重視して、言葉に捉われていたのでは、こうした名曲は生み出されることはないでしょう。それは坐禅も同じで、言葉では表現しきれない世界観を背景に背負っています。坐禅会で初めて坐禅を経験なさった方に感想を求めることがありますが、言葉に詰まる方もいらっしゃいます。その心境を推し量るに、まさに「アー」や「ンー」の境地なのではないかという気がします。日常を振り返り、言葉を中心とする理屈優先の考え方によって、大切なものを見失っていないだろうか、よくよく考えておきたいところです。世の中には言葉では表現し尽せないものもあるのです。そのことを、今一度、押さえておきたいところです。