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第5回「
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一体、それの何が問題なのかという気がしますが、一点に捉われてしまうと、自分が評価した存在以外のものの価値を認められなくなってしまいます。ここが一点に執着してしまうことの恐ろしいところで、よくよく注意しておかなくてはなりません。
こうした自分が何かに執着することによって、それ以外の存在が持つ価値に気づけなくなるような狭い捉え方というのは、我が身が束縛され、自由が奪われたかのような状況とも言えるでしょう。それを指し示すのが、「繋縛」という言葉です。これは「三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)」や、「妄想」を意味し、私たちが真っ直ぐにお釈迦様のお悟りに進んでいくのを妨げる存在でもあります。
こうした我が身を束縛する存在から解放され、自由無碍の状態で仏の道を歩んでいくことが、仏道修行なのです。そうした生き様というものを、私たちも少しでも意識的に日常の中に取り入れながら過ごしていきたいものです。そして、そうした決意を持つことが「
今回の一句の中には「道心」という言葉が出てまいりますが、これぞ「菩提心」のことです。煩悩や妄想に捉われることなく、道心を発して、我が身心を清め、調えていくことを、「理致(我が人生の筋道・道標)」としていくことが、仏道修行者たるものの学道の用心であると道元禅師様はおっしゃっているのです。
令和4年の仏道修行の目標かつ布教のテーマとして、「