一、菩提心(ぼだいしん)(おこ)すべき事

第9回「一念三千(いちねんさんぜん)観解(かんげ)

()るが(いわ)く、一念三千(いちねんさんぜん)観解(かんげ)なり。

「菩提心を(おこ)すこと」について、今回は「一念三千の観解」という言葉に触れながら、考えてみたいと思います。

「一念」というのは、「ほんのわずかな時間の中における心の働き」を意味します。「三千」は「たくさん」ということで、天台大師と呼ばれ、天台教学を確立した中国の天台智顗(てんだいちぎ)(538-597)によって示されたものです。迷える衆生が赴くとされる六道(ろくどう)(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)と佛を(聖者)が存在する悟りの世界である四聖(ししょう)(如来・菩薩・声聞(しょうもん)縁覚(えんがく))を合わせて「十界(じっかい)」と申しますが、我々人間は「一念」という、ほんの一瞬の心に働きによって、修羅(争い)や飢餓(心の飢え)といった、六道の迷いの世界に趣くきっかけを作ってしまうこともあれば、自らの日常を省みて、身心を調え、仏の世界である四聖に赴こうと志を立てることもあります。これが「発菩提心(ほつぼだいしん)」ということでもありましょう。いずれにせよ、六道も四聖も、相互に関連し合っているばかりか、十界そのものが、個々に存在するものではなく、全てがつながっていることに気づかされます。つまり、六道の一つである人間界は十界の他の九つの世界を含んで成立しているということなのです。そして、それは他の世界も同様なのです。そうした関連し合っている世界の中を、私たちは一念というほんのわずかな心の動きによって、方々に移動しながら毎日を過ごしていることを押さえておきたいものです。

こうした十界に、それを10個の観点から捉えた「十如是(じゅうにょぜ)」なる思想・世界観等が加わり、「たくさん」の側面を有した世界観が展開されていくわけで、それが「三千世界」です。この世の全ての存在がそうした三千世界のみ教えを背負っていると捉えた上で、「一念三千」とは、「一瞬の間に心の中に諸法が現れること」を説いていると理解すればよろしいかと思います。

そうした仏教が指し示す道理・思想を観解(観察・理解)していくとき、自身が地獄や餓鬼世界のごとき日常生活を送る可能性も秘めていれば、志一つによって、仏に近づくこともできるという、そうした善にも悪にも赴く可能性を有する世界に生かされていることを今一度、押さえておきたいと言いうのが、「一念三千の観解」の説こうとしているところです。その上で、やはり、こうした鬼にも仏にもなれる世界にいのちをいただいたのであれば、「菩提心」を発して、仏に近づきたいと願うのであります。