第50回 「作雨作晴(あめをなしはれをなす)

雨の日が続いても、必ず晴れの日が訪れる
(一つの状況だけを見て、一喜一憂しない)

令和4年3月13日現在、オミクロン株のまん延による新型コロナウイルス第6波の感染はピークアウトしたとはいうものの、依然として、感染者数の高止まり傾向が続いています。また、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、世界中の平和は脅かされ続けています。そんな中で、発災から11年の歳月が流れた「3.11大震災」当日は、各地で追悼会が営まれ、未だ復興の途上であることを再認識させていただきました。こうして我々の日常を見渡せば、実に様々な問題を抱え、色々なな課題と向き合いながら毎日を生かされていることを感じずにはいられません。一日も早い安心できる日常、平和な毎日の到来というのは、誰しも共通の願いではないかという気がします。

そんな状況下、3月第1週の金沢市内は、2月末に降った大雪もどこへやらと言わんばかりの、穏やかで温かい毎日が続きました。やはり3月というのは、こうした穏やかな晴天がしっくりくる季節のように思います。

しかし、そんな穏やかな天候も長続きするものではありません。特に北陸という地域は、昔から「弁当を忘れても、傘は忘れないように」と口酸っぱく言われてきているように、天候の変化が激しいのが特徴です。何でも今週の中旬は雨模様の日が続くとのこと。何事も人間の小さな頭で測った通りにはなりません。ましてや天候を始め、自然の脅威がどんなものかは、11年前の「3.11大震災」が証明しています。自分の願いが叶ったかのように晴天が続くこともあれば、お望みではない雨が降ったり、大雪になったりするのが、この世の道理です。今回、提示させていただいた「作雨作晴」は、そんな道理を我々に説き示す禅語なのです。

お天気同様、人間も調子のいいときもあれば、そうでないときもあります。自分の思い通りに事を進められると感じることもあれば、そうでない場合もあります。その原因は、私たちは一人で生かされているのではなく、自分とは異なった多くの様々な存在と関わり合って生かされているからに他ならないからです。

そのことを大前提として押さえた上で、調子が悪いと感じるときは、どうか自分の日常に目を向け、身心を調えることを心がけていただくとよろしいかと思います。自分の心が春の晴天のごとく穏やかになれば、笑顔が増え、穏やかな言葉と態度がにじみ出てくるはずです。そうなれば、どんなに難しく困難を抱えた問題に出会っても、苦労はあれども、乗り越えることができるはずです。どうぞ、お試しください。