一、菩提心(ぼだいしん)(おこ)すべき事

第11回「入佛界(にゅうぶっかい)(しん)

()るが(いわ)く、入佛界(にゅうぶっかい)(しん)なりと。

「菩提心を(おこ)すこと」について、「一念三千(いちねんさんぜん)観解(かんげ)」や「一念不生(いちねんふしょう)法門(ほうもん)」という言葉に触れながら、その内容を味わってまいりました。今回は「入佛界の心」という言葉が登場します。これは「仏の世界に入る心」とあるように、仏のお悟りに到達したことを意味するものです。ここでは、「入佛界の心」というのが、すなわち、「菩提心」のことであるということを押さえておきたいものです。

その上で、もう一点、確認しておかなければならないことがあります。それは、仏教とは、字句や文面のみでの理解していくものではなく、教えの実践によって体得していくものであるということです。この点はお釈迦様から脈々と伝わる仏法を理解していく上で、決して外すことのできない重要な視点です。先人は道元禅師の仏法が「行の宗教」であるとお示しになりました。受験生が入試を受ける際に、多くの知識を頭に詰め込んで、試験に臨みます。しかし、そんな受験生に対して、仏教祖師方は、師の教えを我が身心を以て行じ、体得してきました。何よりもの実例は坐禅です。坐禅によって、身心が調い、次第に仏に近づいていきます。それを我が身で証明してきたのが仏教祖師方であり、その繰り返しによって、仏法が今日まで伝わっているのです。その事実を今一度、確認しておきたいところです。

「行の宗教」という観点に立ったとき、「菩提心を発す」ということが、「入佛界の心」を始め、「一念三千の観解」や「一念不生の法門」であると暗記するのではなく、一念なるほんの一瞬の心の動きによって、善にも悪にも転じることもあれば、仏にも凡夫にもなり得る我が身であることを十分に理解した上で、「入佛界」、すなわち、仏のお悟りに近づけるよう、我が身を仏の世界に投げ入れていくのです。そうすると、次第に我が身が調い、仏に近づいていくのです。