第18回  「いいことをお布施(ふせ)(プレゼント)する」

                          お知らせ  今回はお盆の法要でお話させていただいたことを一部編集して掲載させていただきました


善悪の(ほう)三時(さんじ)あり
一者順現報受(ひとつにはじゅんげんほうじゅ)
二者順次生受(ふたつにはじゅんじしょうじゅ)
三者順後次受(みつにはじゅんごじじゅ)

これを三時という



数年前に、免許証の更新で免許センターを訪れた際に見た「飲酒運転」に関するビデオのお話をさせていただきます。


男はある会社の係長で、奥さんと5歳の女の子がいました。奥さんのおなかの中には新しいいのちが宿っていました。

仕事は順調で、大手企業との商談もまとまった上に、男所帯の部署に若くてきれいな女性の部下が配属となりました。

「もうすぐ巡り合える新たないのち」と「順調に進んでいる仕事」
日常の何もかもが上手くいっていることが、男にとって、何よりもの幸せでした。

そんな幸せ絶頂のある夜、男は新入社員の美人女性の歓迎会に参加しました。そこで飲んだアルコールが、後に男だけではなく、周囲の多くの人をも巻き込む大事件に発展するとは、誰が思ったでしょうか?

時が過ぎ、帰途につく男はタクシーを探しましたが、なかなか捕まりませんでした。そこで、駐車場に止めてあったマイカーで小一時間仮眠を取り、酔いを醒ましてから、帰ることにしたのです。

しかし、酔いが醒めたと思っていたのは男だけ。小一時間の仮眠で酔いが醒めるはずがありません。途中、静かな住宅街の中、交差点でもない場所に停車している車がありました。「こんなところに車を停めやがって・・・。」―半ば怒りの気持ちを露わにしながら、男はアクセルを強く踏み込み、その車を猛スピードで追い越しました。するとそのとき、車の陰から一台の自転車が出てきたのです・・・。

男はすぐに警察に連行され、取調べを受けました。その間、男にはねられた被害者の女子大生は病院で息を引き取りました。彼女は自営業を営む夫婦の一人娘でした。苦しい家計をやり繰りしながら、大学まで通わせてくれた両親の負担を少しでも減らしたいと、毎晩、アルバイトに通って、学費を稼いでいたそうで、事故はその帰り道に発生しました。とても親思いのやさしい娘さん・・・。そして、ご両親にとっては、たった一人しかいない、かけがえのない娘さんでした。

この事故は、その後、どういう結果を引き起こしたのでしょうか?

被害者宅
大切な娘さんの死後、お父さんは精神科の通院を余儀なくされてしまいました。お母さんはショックで寝たきりの生活になりました。

加害者宅
男は当然ながら、会社を解雇されました。
奥さんは、ショックの余り、おなかの子どもを流産してしまいました・・・。
そして、近所の人たちに白い目で見られながら、賠償金を支払うために、持ち家を売り、朝晩働きづめの生活を送ることになりました。
5歳の女の子はお母さんが働きに出ているため、夜間保育に預けられました。親子三人で公園に遊びに行った楽しい思い出・・・。そんな思い出を絵に描きながら、そこには一粒の涙がこぼれていました。
男には結婚間近の妹さんがいました。しかし、身内が人様を不幸にしておきながら、自分だけが幸せになれないと、一生懸命貯めた結婚資金を賠償金の支払に充てました。

加害者関係者
事故がマスコミに大きく報道されたことで、大手企業側から商談を断られ、会社は大きな損害を抱えました。また、事故当日、いっしょに飲んでいた部下たちも、「男に酒を飲ませた責任」を問われ、逮捕されました。

一人の人間の行いは、結果として悪果を招きました。そして、それが本人のみならず、周りの多くの人に悪影響を及ぼしましたのです。これが「因果の法」です。決して、『一人の人間が取った「あさはかな行動」が、その人だけを苦しめる』で終わるものではありません。「自分だけが責任を取ればいい」という言い方がありますが、そうではありません。自分だけの問題ではなく、周囲の人をも巻き込んで、皆の問題となっていくのです。そのことを十分に踏まえ、自分の行動を考えていきたいものです。

「善悪の報に三時あり」―「三時」とは、「おやつの時間」ではありません。「業(人間の行為)」が影響を及ぼす3つの時間のことです。@「順現報受(現世で報いを受ける)」、A「順次生受(来世に報いを受ける)」、B「順後次受(来来世以降で報いを受ける)」とあるように、自分の行いは現世以降も多くの人に影響を及ぼしていくことを説いています。

今回の例話で言うならば、
「順現報受」とは、まさに被害者や加害者の家族、関係者の現世における影響です。
「順次生受」とは、この世の灯を見ることなく亡くなってしまった男の第2子のことです。男が飲酒運転さえしなければ、元気に生まれてくることができたはずです。男の行為は「被害者」と「生まれてくる子ども」の「2つの尊いいのち」を奪ってしまったのです。
「順後次受」は、今回のお話では、描かれていませんが、もし、男の娘(5歳の女の子)が成人して、結婚し、子どもが生まれれば、その子が「飲酒運転で人を死なせた人の孫」と呼ばれるかもしれないということです。

今回の例話は決して、人事ではありません。自分の行いは、自分だけではなく場所を超え、時間を超え、自分の予想を遙かに上回る多くの人に影響を与えるのです。だからこそ、日頃の行いを正し、周囲や後世に生きる人々、みんながいい方向に進めるような行いや言葉を「お布施(プレゼント)」できるようにしたいものです。