第52回 「直心是道場(じきしんこれどうじょう)

真っ直ぐな心を忘れずに、自らの道を歩んでいく

「直心」とは読んで字のごとく、「真っ直ぐな心」を意味しています。仏の道もそうですが、芸術であれスポーツであれ、どんな道も、その目標の到達・達成を目指すとき、真っ直ぐな心を以て、自らが歩む道と向き合っていく姿勢が欠かせないことは言うまでもありません。道に対して、自分勝手な解釈や考え方(仏教では「吾我(ごが)」と申します)を持っているようでは、いつまでも道を究めることなど不可能なことは自明のことです。

道を歩み始めた頃は、その道の特徴を少しでも早く理解・体得したいと、師の教えや言葉にも従順に従い、素直な心で道を歩もうとしていくものですが、次第にどんな道なのかが見えてくると、()れが出てきてしまい、事あるたびに自分の考えや理屈が道を阻んできます。こうなると、最初はあったはずの直心などどこへやら、師の言葉さえも聞こうとしなくなってしまうことがあるのが、我々人間なのでしょう。そして、そうした横柄な態度が言動にも顕れ、やがては大きな失敗につながっていくのです。取り返しがつくものであればいいのですが、そうでなければ大変です。こうした道を歩んでいく上で陥りがちな人間の習性というものに留意しながら、直心を忘れずに道を歩むことが、道場(仏道修行の場)そのものであるということを説くのが、「直心是道場」なのです。

長引くコロナ禍は、これまで余裕のなかった日常生活に随分とゆとりを与えてくれました。最近はあるお檀家さんの影響を受けて、絵手紙を習うようになりました。また、スマートフォンで“クラシル”なる料理のアプリを発見し、暇さえあれば台所に立っては、家族の食事や自分の晩酌のおつまみを調理する機会が増えました。自分の描いた拙い絵手紙でも、励ましのお言葉をいただいたり、見よう見まねで作った料理でも、おいしいおいしいと食べてくれる人がいれば、俄然、気力が充実し、また、やってみようという気持ちになるものです。失敗もありますが、こうしたコロナ禍で出会えたご縁を大切にしていきたいと思うとき、「直心是道場」という禅語をかみしめながら、新しい道に対して、決して、横柄になることなく、直心を以て歩んでいきたいと願うのです。