第1回「首章・本則 ―我と大地と同時に成道す―」
【本則】
「我れと
―「師、
曹洞宗の
折しも、瑩山禅師が二十八歳のときにお開きになった初開道道・阿波(徳島県)の
ちなみに、伝光録に定まったスタイルがあります。全編において、@
@ | 古則(後人が手本とすべき法則)や公案(仏祖が指し示した道理) | ||
A | 仏道修行者が師の教えを受けるのに最適な機会 | ||
B | 古則や公案を提起して、仏道修行者に示すこと | ||
C | 祖師の古則に対して、偈頌を用いながら簡潔に宗意を示したもの。 |
さて、そんな伝光録の最初を飾る「首章」は、お釈迦様について、主に12月8日の明け方、坐禅を通じて悟りを得たことを中心に提示がなされています。釈迦牟尼仏(お釈迦様)が坐禅をしながら、明星(明け方)、ついに悟道(仏の道をお悟りになった)わけですが、その際に「我と大地と同時に成道す」とおっしゃったと瑩山禅師はお示しになっているのが、首章・本則の内容です。
―この言葉が意味するものは何なのでしょうか―?
それはお釈迦様は坐禅を通じて、12月8日の明け方にお悟りを得たのは確かなのですが、お釈迦様だけが悟りを得たのではなく、人も動物も自然も、この大地の上に存在しているお釈迦様の周囲の全てがお釈迦様と一緒に悟りを得たということです。
そもそもお釈迦様のお悟りは、「縁起」と申しまして、「全ての存在が関わり合い、支え合い、つながっている」という道理でした。全てが自分という存在とつながり、関わり合っているのであれば、自分が悟りを得たとすれば、大地に存在する全ての者だって、同時に成道しているはずであり、その道理を説き示しているのが、「我と大地と同時に成道す」という一句なのです。
こうしたお釈迦様のお言葉について、瑩山禅師はさらに詳細に次の「機縁」及び「拈提」の中で説き示していかれるのです。