第1回「首章・本則 ―我と大地と同時に成道す―」

【本則】 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)明星(みょうじょう)を見て悟道(ごどう)して(のたま)わく、
「我れと大地有情(だいちうじょう)と同時に成道(じょうどう)す。」

―「師、正安(しょうあん)二年正月十二日において、初めて請益(しんえき)す。」―
曹洞宗の太祖(たいそ)瑩山(けいざん)禅師が加賀・大乘寺(だいじょうじ)二世住持職に在った鎌倉時代末期、具体的には正安(しょうあん)【1299−1302】二年正月十二日とありますが、この日より禅師は、大乘寺で日々、仏道修行に励む門下の修行僧たちに対して、曹洞宗の伝灯を提示なさいました。すなわち、お釈迦様を起点とし、以降、師から弟子へと仏法がどのように伝わってきたのか、また、弟子たちはどのような形で成道(悟りを得ること)なさったのかをお示しになったわけですが、それを侍者(じしゃ)(側近の僧)が筆録したものが「伝光録」です。

折しも、瑩山禅師が二十八歳のときにお開きになった初開道道・阿波(徳島県)の城満寺(じょうまんじ)ご住職・田村航也老師より「光を伝える」という小冊子が全国の曹洞宗寺院に配布されました。この小冊子では、伝光録の内容が簡潔に記されていると共に、お釈迦様以降歴代祖師方がイラスト入りでご紹介されているスタイルが親しみやすく、老師にはこの先、当コーナーを進めていく上で大いに参考になる資料との仏縁をいただけたと、只々、感謝するばかりです。

ちなみに、伝光録に定まったスタイルがあります。全編において、@本則(ほんそく)A機縁(きえん)B拈提(ねんてい)C頌古(じゅこ)という一定の形態となっています(詳細は下記一覧表をご参照下さい)。伝光録は内容も難解で、実際、住職も平成28年頃から少しずつ読んでまいりましたが、最近、少しは理解が進んできたかなと感じるようになってきました。そうした理解の一助となるのは、他でもなく、スタイルが一定であることが大きいものと思っています。

@ 本則(ほんそく) 古則(後人が手本とすべき法則)や公案(仏祖が指し示した道理)
A 機縁(きえん) 仏道修行者が師の教えを受けるのに最適な機会
B 拈提(ねんてい) 古則や公案を提起して、仏道修行者に示すこと
C 頌古(じゅこ) 祖師の古則に対して、偈頌を用いながら簡潔に宗意を示したもの。

さて、そんな伝光録の最初を飾る「首章」は、お釈迦様について、主に12月8日の明け方、坐禅を通じて悟りを得たことを中心に提示がなされています。釈迦牟尼仏(お釈迦様)が坐禅をしながら、明星(明け方)、ついに悟道(仏の道をお悟りになった)わけですが、その際に「我と大地と同時に成道す」とおっしゃったと瑩山禅師はお示しになっているのが、首章・本則の内容です。

―この言葉が意味するものは何なのでしょうか―?

それはお釈迦様は坐禅を通じて、12月8日の明け方にお悟りを得たのは確かなのですが、お釈迦様だけが悟りを得たのではなく、人も動物も自然も、この大地の上に存在しているお釈迦様の周囲の全てがお釈迦様と一緒に悟りを得たということです。

そもそもお釈迦様のお悟りは、「縁起」と申しまして、「全ての存在が関わり合い、支え合い、つながっている」という道理でした。全てが自分という存在とつながり、関わり合っているのであれば、自分が悟りを得たとすれば、大地に存在する全ての者だって、同時に成道しているはずであり、その道理を説き示しているのが、「我と大地と同時に成道す」という一句なのです。

こうしたお釈迦様のお言葉について、瑩山禅師はさらに詳細に次の「機縁」及び「拈提」の中で説き示していかれるのです。