曹洞宗管長告諭
本文 | 解説 |
今、私たちは多くの困難と不安に直面し、その生き方が問われています。 一仏両祖のみ教えに生きる私たちは、 お釈迦さまは 瑩山禅師は「たとい 合掌 南無釈迦牟尼仏 令和四(二〇二二)年四月一日 |
長引く「コロナ禍」に加え、ロシアのウクライナ侵攻にみる世情不安等、曹洞宗管長猊下がご指摘の現況は、前年と変わらないどころか、むしろ、一層、緊迫感が増しているようにさえ感じます。 そんな中で、一仏両祖(お釈迦様・道元様・瑩山様)のみ教えをいただいて、日々を生かされている私たちが、自らの身心を調えること(自らの言葉や行いに対して、十分に留意して発すること)を意識しながら、周囲と和していくことを、特に、今年度のテーマとして捉えていけたらよろしいかと思います。 その上で、キーワードとして、管長猊下は、まずはお釈迦様のみ教えから、我々に「智慧と慈悲をもって生きること」を強く願っていらっしゃることを押さえておきたいところです。智慧と慈悲を意識しながら、身心を調えていくとき、自ずと寛容さがにじみ出てくるような気がいたします。 また、二つ目のキーワードととして、瑩山禅師様の「難値難遇の事有るも、必ず和睦の思いを生ずべし」という一句が提示されています。まさに昨今の感染症や戦禍といった難値難遇の事態が起こったとしても、和睦ということだけは忘れることなく、穏やかな言葉や態度で周囲と一つに交わっていきたいと願うのです。それが「四摂法」における「同事」なのです。 そして、三つ目に「この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといえども、未だ修せざるにはあらわれず」という道元禅師様のみ教えが引用されています。誰もが「仏性」という仏に成れる性質をいただいて生かされているのに、毎日を仏のごとく生きることが難しいからか、中々、自分の身心ににじみ出きません。そのことを踏まえた上で、仏のみ教えに従い、毎日を丁寧に生きていくことが、今、私たちに問われている生き方と捉えていくことが肝心です。 二年後の令和六年には、大本山總持寺ご開山・瑩山禅師様の七〇〇回大遠忌が営まれます。既に、この仏縁に向けて、ご本山を中心に準備が進められていますが、こうした機会こそが、今の自分に気づき、我が身を調える貴重なご縁なのです。そのことを自覚しながらも、今年も管長猊下の願いを真っ直ぐに受け止め、いただいたいのちを丁寧に生かしていきたいものです。 最後に、「和合」ということについて、昭和・平成の時代を代表する名優のお一人である故・丹波哲郎氏(1922-2006)がお亡くなりになる直前に、素晴らしい言葉を遺してくださっていますので、ご紹介させていただきます。丹波氏がお亡くなりになる少し前、氏のテレビドラマにおける代表作「Gメン75」のDVDが制作されました。それを記念して制作発表会が開かれ、故・夏木陽介氏(1936-2018)や原田大二郎氏、岡本富士太氏ら共演者と共に当時の思い出等が展開されていきました。 ―「戦争やテロなど、世界中で人間同士が憎しみ合い、殺し合っている中で、世界全体が一丸となって、和を楽しむことを誰もができるようになりたい」― 「和を楽しむ」ことは、まさに瑩山禅師様がお示しになっている「和合和睦」と通じ合っていると深い感銘を受けると共に、住職自身が率先して「和を楽しむ」人間でありたいと感じたお示しでした。 |