曹洞宗布教教化方針

本文 解説

曹洞宗の布教教化は、一仏両祖のみ教えを実践する中で、信仰の生活から生まれる深い喜びと安らぎを願い、その実現を目指すものです。
 本年度の布教教化方針は、管長告諭の「世界中の人びとが誰一人取り残されることなく、安らかに暮らせるよう、祈り、念じ、皆ともに菩薩行を進めてまいりましょう」とのお言葉を受け、これまで推進してきた「禅の実践」「一仏両祖(いちぶつりょうそ)への帰依(きえ)」「菩薩行(ぼさつぎょう)の実践」と共に、「菩薩行の実践としてのSDGs(エスディージーズ)への取り組み」を推進することといたします。
 宗門においては長い間「人権・平和・環境」のスローガンのもと、さまざまな取り組みがなされてきました。これらは貧困や差別、環境や平和の問題を包括的に理解し、連携して取り組もうとするSDGsと、理念を共有するものです。世界中の人びとのために、次世代の「いのち」のために、身近な生活を振り返り自分が出来ることを考え、歩みを進めて参りましょう。
 SDGsへの取り組みと同じく、部落差別ををはじめとするあらゆる差別の根絶、平和な社会の実現、地球環境の保全、東日本大震災及び原発事故、また多発する災害の被災地支援、自死問題への対応などの取り組みも引き続き進めてまいります。
 その基軸となる指針として、以下の項目を定めます。

令和4年度「曹洞宗布教教化方針」は、3年度のものから見れば、文言等に多少の変更はあれども、内容的には、ほぼ前年度を踏襲した形となっています。

そんな中でも、管長猊下が掲げられた「世界中の人びとが誰一人取り残されることなく、安らかに暮らせるよう、祈り、念じ、皆ともに菩薩行を進めてまいりましょう」とのお言葉を受け止めることが今年度の最大のポイントであると捉えています。

そして、そこに下記の3点を組み込みながら進めていくことの重要性が示されていると捉えています。
①坐禅の日常的な実践
②一仏両祖への帰依
③SDGsが掲げる“誰一人として取り残されることがないように”という視点を持った「菩薩行の実践」

今年度は、コロナ禍に加え、ロシアのウクライナ侵攻といった新たな問題が惹起しています。そんな中で、SDGsの“誰一人取り残されることなく”という言葉をキーワードに、一仏両祖様のみ教えを嚙み砕きながら、持続可能な範囲内で苦悩に満ちた世の中に一石を投じ続けていけるようにしていきたいものです。

一、、禅の実践をすすめます。
 私たちは、寺院の内外を問わず、さまざまな機会において坐禅の実践をすすめます。より多くの方が坐禅に親しめるよう、いす坐禅をはじめ、インターネットを活用した坐禅会や動画の配信を通して、坐禅の普及につとめます。
 不安で落ち着かない社会の中にあっても、身と息と心を調える坐禅を中心とした「禅の生き方の実践」が、智慧と慈悲を育み、確かな人生の基軸となることを人びとに伝えひろめます。

一仏両祖様(お釈迦様・高祖道元禅師様・太祖瑩山禅師様)が身心を調え、お悟りを得たのは、坐禅をやって、やって、やり続けなさったからに他なりません。一仏両祖様と同じく人間としてのいのちをいただいた私たちも、同じように坐禅を行じ続けていくことによって、生きる喜びだとか、身心の安楽がもたらされると同時に、人間性が完成していくのです。

この「人間性の完成(人としての道を成し遂げること)」が、すなわち、「悟りを得る」ということです。そうした機縁となる坐禅を日常生活の中で、ほんの10分程度のわずかな時間で構わないので、確保することを願っております。

二、一仏両祖を敬い、おとなえの普及につとめます。
 私たちは、日々「南無釈迦牟尼仏」「南無高祖承陽大師道元禅師(なむこうそじょうようだいしどうげんぜんじ)」「南無太祖常済大師瑩山禅師(なむたいそじょうさいだいしけいざんぜんじ)」とおとなえし、そのみ教えを学び、日々の行いに生かしていくことの大切さを伝えていきます。

私たちが人間として生きていく上であるべき姿をお示しになった一仏両祖こそが、私たちの人生の師であり、生きる上でのお手本です。そんな一仏両祖様に我が身を委ね、お任せしていくのが帰依です。どんなときも一仏両祖様に思いを馳せ、帰依の念を忘れずに過ごしていきたいものです。

三、『修証義』「四大綱領(しだいこうりょう)」に基づく菩薩行の実践をすすめます。

 私たちは、本宗の教義である『修証義』「四大綱領」に基づき、布施・愛語・利行・同事の四摂法(ししょうぼう)に代表される菩薩行の実践をすすめます。
 世界中の人びとの幸せと安寧を願い行動することが、自身を菩薩として成長させる大切な修行になること、更には自分自身の深い喜びと安心につながることを伝えていきます。


一佛両祖様に帰依し、坐禅を行じ、智慧と慈悲を育みながら、人間性が完成されていくと、そこから発せられる言葉や行いは、周囲に存在するあらゆるいのちに気が配られた、周囲と一体化したものとなっていきます。それが「同事」です。

そうした言葉(愛語)や行い(利行)が提示(布施)できる人が増えていけば、人々に幸せと安寧が訪れることは言うまでもありません。少しでも多くの方が、「四大綱領」を意識し、他者と喜びと安心を共有し合っていくことができる日常を是非とも、目指していきたいものです。


四、人と人とのつながりを大切にして、全ての人びとが救われる関係づくりを目指します。

 私たちは、寺院を場とした教化活動にとどまらず、積極的に地域社会に働きかけることで、人々の悲しみや苦悩に学び、寄り添い、支え合う関係を築けるようつとめます。人と人との接触が制限される状況にあっても、手紙や電話、インターネットなどのさまざまな方法を活用して、分断の無い、こころが通う温かな関係を大切にします。
 また、仏事が簡略化されがちな世情の中で、改めて、生き死にを超えたつながりの大切さを伝え、出来る限りのご供養が営めるよう力を尽くします。

※SDGs(Sustainable Development Goals)は「持続可能な開発目標」と訳され、二〇一五年の国連サミットで加盟一九三ヵ国の全会一致で採択された「貧困や飢餓の解消」「平和的社会の実現」などに関連する十七の課題を、統合的・包括的に解決していこうとする国際目標です。


SNSに見られるように、様々なコミュニケーション手段が存在しているにもかかわらず、「人間関係の希薄化」や「仏事の簡略化」ということが日常化してしまいました。その背景には「コロナ禍」の影響が大きいような気がします。

感染者数が高止まりを続ける中、今年度もコロナ禍は続くものと見つつも、是非、SNS等のコミュニケーション手段を積極的に利用する姿勢を持ちたいものです。それは、言い換えれば、「SNSという存在を生かす」ということでもあります。

とかく、芸能人への誹謗中傷など、悪い面ばかりがクローズアップされがちなSNSですが、仮初に一仏両祖様が現代社会に実在されていて、SNSをご利用になるとすれば、匿名の誹謗中傷といった使い方は、謝った使い方と断じられることでしょう。SNSをあくまで希薄化しがちな人間関係を保つ手段と捉えると共に、手紙などの手段も大切にしながら、温かい言葉をやり取りし合えるようにしていきたいものです。