第6回「首章・機縁D 仏の法儀(ほうぎ)形儀(ぎょうぎ)を慕う ―正法断絶せざる理由(わけ)

【機縁】故に在世よりこのかた、正像末(しょうぞうまつ)の三時、彼の法儀(ほうぎ)を慕ふ者、仏の形儀(ぎょうぎ)をかたどり、仏の受用(じゅよう)を受用して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)片時(かたとき)も自己を先とせざることなし。仏仏祖祖(ぶつぶつそそ)単伝(たんでん)(きた)りて、正法断絶(しょうぼうだんぜつ)せず。

「在世よりこのかた」ということですから、お釈迦様が実在していらっしゃった時代を指しているわけですが、それ以降、仏道修行を通じて、「三十二相(さんじゅうにそう)八十種好(はちじゅっしゅごう)」という出家者の姿を身につけられた仏教の祖師方によって、時と場所を超えて、仏法がそっくりそのまま、今日の我々まで伝わってきたことが瑩山禅師様より提示されています。それが「仏仏祖祖、単伝し来りて、正法断絶せず」です。「単伝」は「他の存在を組み込むことなく、単独で伝わっていくこと」を意味しています。

そうした「単伝」ということが、時と場所を超えて実現できた理由とは何なのでしょうか―?

それを瑩山禅師様は「彼の法儀を慕ふ者、仏の形儀をかたどり、仏の受用を受用して、行住坐臥、片時も自己を先とせざることなし」とお示しになっています。彼の法儀(仏祖の正しい作法)は、言うまでもなく、お釈迦様がお示しになった作法・み教えのことですが、後世、お釈迦様の生き様にほれ込み、お釈迦様を慕い、帰依してきた人びとが、仏の形儀(姿形)をそっくりそのままに真似て、行じてきた、すなわち仏の全てを受用(否定せずに受け入れていくこと)してきたからこそ、今日まで仏法が伝わってきたと瑩山禅師様はおっしゃっているのです。

また、瑩山禅師様は「行住坐臥(日常の全ての立ち振る舞い・言動)において、自分よりも仏を優先させてきたこと」を提示なさっています。「片時も自己を先とせざることなし」という一句は、道元禅師様が「学道用心集」における「菩提心を発すべき事」の中で、「吾我を忘れる」ということをお示しになっていますが、そことも相通ずる仏のみ教え・生き様として、しっかりと押さえておきたいところです。お釈迦様の法儀や形儀というものを慕い、帰依するというのであれば、どんなときも、自分の思いや考えよりも先に、お釈迦様のお考えに標準を合わせ、お釈迦様のみ教えを基に言動を調え、発していく姿勢がなくては、お釈迦様の弟子であり、彼の法儀を慕う者とは、到底、言えないのです。今日まで仏教の単伝に携わられてきた全ての仏仏祖祖が、「吾我を忘れて」、お釈迦様の法儀・形儀を慕ってきたからこそ、正法が断絶することはありませんでした。これそ、まさに、「仏の慧命(えみょう)嗣続(しぞく)する」ということなのです。

ちなみに、正像末の三時とありますが、これは、お釈迦様亡きあとに、仏法が世間に存在する期間を「正法(しょうぼう)(お釈迦様在世によって正法と修行による証果を得られる時期)」・「像法(ぞうほう)(正法と修行は存在するが、証果が得られぬ時期)」・「末法(まっぽう)(教法はあれども、世の中が乱れ、争いが絶えず、修行する者もない時代)」の3つに分けたものです。それぞれの期間については、「正法五百年(千年)、像法五百年(千年)」といった具合に、所説がありますが、この説を見ても明白のように、現代は「末法の世」ということになるのでしょう。そのことは、ロシアのウクライナ侵攻を始めとする世界情勢に目を向けても、合点がいきますが、そんな末法の世に生かされてる私たち一人一人が、仏の法儀・形儀を慕い、吾我を忘れて毎日を過ごしていくことによって、一日も早く、争いのない、平和な世界が訪れることを願うのです。