二、正法を見聞して必ず修め習うべき事
第23回「正法の見聞・正法の修習―学道の者が関わり合うハイレベルな日常を目指して―」
右、忠臣一言を献ずれば、
佛祖一語を施せば、
今回より二つ目となる学道の者(仏道修行者)の用心(心得)に入ります。それが「正法を見聞して必ず修め習うべき事」です。
前段の「菩提心を発すべき事」の最後に「迷う者は~
そうした姿は、道元禅師様が「
令和4年6月現在、「新型コロナウイルス」の感染状況は、依然、高止まり傾向にありながらも、徐々に減少傾向にあり、社会も経済活動が再開されています。我が金沢市でも、市内最大の一大イベントである「金沢百万石まつり」も感染症対策に留意しながらも、3年ぶりに再開され、沿道は34万人の観客で賑わいを見せていました。この先、感染者数が爆発的に増えることがなければ、感染症対策への留意は続けながらも、以前のような生活が戻ってくるのではないかという気もします。
そんな「金沢百万石まつり」に、この度、住職は
実はこの前後、たとえば、3年ぶりにお会いした遠方のお檀家さんであったり、別の世界から仏門に身を投じた方であったりと、何人もの学道の者というべき方々とのご縁がありました。お寺にあまり協力ができなかったと自戒なさっているお檀家さん。決して、そんなことはないのですが、お檀家さんは自ら学習を重ね、お寺の支援につながる資格を取得なさったことをご報告くださいました。何とうれしく、喜ばしいことではないでしょうか。また、還暦を迎えた今、仏道修行に勤しむ方は、世間のお寺に明るい未来が訪れ、お寺が世の中に貢献できるような場になることを願い、様々な活動展開を計画なさっています。住職もお声掛けをいただき、微力ながら携わらせいただいております。
こうした方々とのご縁が住職の言動や人間性にも大きな影響を与えてくれるのです。それが今回の一句にある「回心」です。これは「自分が仏の方向に向くこと」です。今回、私自身、「小さなことに捉われて、人を批判したり、文句を言ったり、愚痴をこぼしたりしていては対等に会話することもできないな、皆が幸せや喜びを噛み締めながら生活できることを心底願って過ごさなければ、どんどん取り残されていくな」という「回心」がありました。それを受けて、今、自分磨きに余念なき毎日を過ごすべく、精進しているところです。回心によって、生き様が仏の方向に向くことが「回天」です。一曹洞宗寺院の住職として、僧俗問わず、まさに‟学道の者”ともいうべき人間性が磨かれたハイレベルな方々と共に生きていくとき、自分自身が‟学道の者”であることが大切であるということを身に染みて学ばせていただいたと、只々、感謝申し上げるばかりです。
実法(正法)を身につけた者が一句発せば、周囲の者の心は動かされます。それは僧俗関係ありません。忠臣や知事、市長といった地域のリーダー、企業の社長など、組織のトップを司る方が発する言動一つで、人びとの心は動かされます。もちろん、佛祖(仏様)も同じです。それが今回の一句が意味するところです。忠臣や佛祖が発するものが妄法に満ちたものならば、たちまち人びとは誤った方向に導かれていきます。しかし、正に満ちた、仏法のものならば、人びとはあるべき方向に導かれていくのです。
だからこそ、人の上に立つリーダーほど、正法を見聞して、我が身に見つけるべく、正法の修習が必要になってくるのです。それがあって、正しく周囲を導いていけるのです。そして、正法なき者の声に、周囲は耳を傾けることもなどないのです。今回は、そのことをしっかりと押さえておきたいものです。