第9回「首章・拈提A 釈迦牟尼仏成道するとき」
【拈提】
釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す。
唯、大地有情成道するのみに非ず。三世諸仏も皆成道す。
三十歳
「我」というと、「われ」と呼んで、「自分自身」のことを指していると捉えますが、この娑婆世界には「自分」以外にも、過去・現在・未来、数多のいのちが存在しており、それら全てが「我」なのです。そうした「我」が集い、関わり、支え合いながら、私たちの娑婆世界が成立しています。それを仏教では「
また、「我」の一つ一つが、永遠に存在するものではなく、時間との関わりの中で、次第に老い、滅していく無常なる存在であることをも、この娑婆世界の道理として、押さえておく必要があります。
そうしたことを踏まえた上で、「我れと
それだけではありません。「大地有情成道するのみに非ず。三世諸仏も皆成道す」とあります。三世(過去・現在・未来)のあらゆる仏と成った者もまた、お釈迦様が成道したのと同時に悟りを得たというのです。
過去の仏というのは、「
お釈迦様亡き後、お釈迦様に帰依し、仏道を歩みながら、同じように、お悟りを得た祖師方がいらっしゃいました。それが道元禅師様や瑩山禅師様といった方々であったということを、ここでは押さえておきたいところです。そして、そうした方々によって、仏法は今日まで受け継がれているのです。
お釈迦様のお悟りは太古の昔から存在し、今を生きる仏道修行者たちが真摯に仏道を歩むことによって、次世代に受け継がれ未来永劫に渡って存在し続けるのです。それが仏教の歴史であり、事実なのです。