第9回「首章・拈提A 釈迦牟尼仏成道するとき」

【拈提】大鋼(たいもう)を挙ぐるとき、衆目悉(しゅもくことごと)く挙るが如く、
釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す。
唯、大地有情成道するのみに非ず。三世諸仏も皆成道す。

三十歳臘月(ろうげつ)八日、六年間の端坐(たんざ)の末、お悟りを得たお釈迦様が獅子吼(ししく)なさったとされる「我れと大地有情(だいちうじょう)と同時に成道(じょうどう)す。」というお言葉について、加賀・大乘寺2世住持職の瑩山禅師様が会下の修行僧たちにご自身の見解をお示しになっているのが、「拈提」です。その中で、瑩山禅師様は、道を歩む仏道修行者たちに対して、「我の永続的参究の必要性」をお示しになっています。

「我」というと、「われ」と呼んで、「自分自身」のことを指していると捉えますが、この娑婆世界には「自分」以外にも、過去・現在・未来、数多のいのちが存在しており、それら全てが「我」なのです。そうした「我」が集い、関わり、支え合いながら、私たちの娑婆世界が成立しています。それを仏教では「衆縁和合(しゅうえんわごう)」とか、「縁起(えんぎ)」と申します。

また、「我」の一つ一つが、永遠に存在するものではなく、時間との関わりの中で、次第に老い、滅していく無常なる存在であることをも、この娑婆世界の道理として、押さえておく必要があります。

そうしたことを踏まえた上で、「我れと大地有情(だいちうじょう)と同時に成道(じょうどう)す。」というお言葉について、今回は大鋼(具体例)を挙げながら、もう少し踏み込んでみ教えが展開されていきます。「釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す」―お釈迦様がお悟りを得たとき、大地有情(この世の全ての存在)も同時にお悟りを得たというのです。

それだけではありません。「大地有情成道するのみに非ず。三世諸仏も皆成道す」とあります。三世(過去・現在・未来)のあらゆる仏と成った者もまた、お釈迦様が成道したのと同時に悟りを得たというのです。

過去の仏というのは、「過去七佛(かこしちぶつ)」と呼ばれ、お釈迦様よりはるか昔に存在していらっしゃった仏様を指します。実はお釈迦様のお悟りというのは、お釈迦様が始まりなのではなく、お釈迦様以前に存在していた仏様たちが既にお悟りになっていたことだというのです。そのお悟りを六年間の坐禅という手法を用いながら、三十歳臘月八日、明確になさったのがお釈迦様だというのが、正確な解釈なのです。

お釈迦様亡き後、お釈迦様に帰依し、仏道を歩みながら、同じように、お悟りを得た祖師方がいらっしゃいました。それが道元禅師様や瑩山禅師様といった方々であったということを、ここでは押さえておきたいところです。そして、そうした方々によって、仏法は今日まで受け継がれているのです。

お釈迦様のお悟りは太古の昔から存在し、今を生きる仏道修行者たちが真摯に仏道を歩むことによって、次世代に受け継がれ未来永劫に渡って存在し続けるのです。それが仏教の歴史であり、事実なのです。