第57回「
年齢相応に我が身の現況を受け止め、
気品のある生き方を心がけていく
誰よりも熱い志を以て、我が職責を全うしてきた北村氏(仮名)。一つのことに‟全集中”と言わんばかりに向き合う性分ゆえ、他のことが目を向ける余裕すらなくなることもあります。また、自分の情熱が最高潮に達しているときに、自分よりも冷静な人がいれば、自分を批判していると感じてしまうのか、あるいは、情熱がないように見えてしまうのか、ついつい怒りの感情が沸き起こり、諍いになってしまうこともありました。
そんな、誰よりも熱く、ときには自分の情熱を周囲に押し付けているとも思われながらも、一生懸命に生きてきた北村氏も、気がつけば古希を迎えようとしています。コロナ禍の2年間、業務が激減し、以前のような大きな仕事もなく、情熱的な日常生活を送れなかったものの、最近は、ふとしたきっかけから、コロナ禍前のように行動する機会が増え、周囲を驚かせることもありました。
そうした中で、ついつい熱くなってしまい、発してしまった言葉が周囲の人を傷つけてしまうこともありました。そんな北村氏(仮名)の言動に対して、ハラスメントではないかという声も挙がりました。コロナ禍で大声を出すことに対して世間の警戒感は以前にも増して強まっています。また、働き方改革等、見方によっては顧客よりも労働者の目線に立った動きも以前より見受けられることが多くなってきました。それから、ハラスメントに対する世間の意識は高まる一方です。
こうした世間の変化に中々、対応できず、感情のコントロールを失したかのような言動を繰り返してしまう北村氏(仮名)に対して、社会が変化していることを伝えようとしても、これまで大声を出して感情表現をすることを普通に行っていた氏は「顧客の目線に立てない社会がおかしい。だから、大声で訴えるんだ」などと取り付く島もありません。穏やかながらも核心だけはつくという形で言葉を提示していかなければ、中々、相手に意思が伝わりにくい時代になりつつある昨今、ひょっとしたら、氏は「生きにくさ」を感じているのかもしれませんが、何とか時代の流れにも合わせていければ、随分、生きる困難が和らいでいくようにも思います。
時間との関わりの中で生かされている私たちは、年を取ったり、病気を抱えたりして、変化していきます。北村氏(仮名)の事例を見れば、生まれつきの性分もあれば、老いや病による身心の変化というものもあり、当人は理不尽さを感じたとしても、受け止めていかねばならぬ現実でもあるのです。
そのことを踏まえながら、外に何かを求めてみたり、世間の様々な心配事に心を悩ませてみたり、他者と争ってみたりするのではなく、今の自分の現況を受け止めながら、のんびりと心安らかに過ごす生き方を勧めるのが「安眠高臥対青山」です。「高臥」は、「俗世間を離れて、気品のある生活をすること」を意味しています。これは、言わば、「心を患わせることなく、周囲の存在と一つになって、悠々と生きていく姿」を指しているのです。
様々な人生経験を積み、今の人間社会を築き上げてきたのは、他でもなく、人生の先達である方々です。いわゆる高齢者と呼ばれる方々ですが、そんな方々に対して、世間では‟老害”という言葉を用いて排除する動きも見受けられます。その背景には、先輩を認め、敬おうとしない風潮にも原因があるでしょうが、そうした空気を高齢者自身が作っている面も否めないような気がします。今の時代、感情のコントロールが利かずに、大声を出すことが、周囲に恐怖感を与えるばかりか、コロナ禍によって、世間が回避したがる傾向が強まっていることを、よくよく受け止めた上で、穏やかな言葉、和やかな笑顔が生み出せるよう、高齢者自らが気品に満ちた生き方を率先していくことが求められているのです。そのことを、是非とも、押さえておきたいところです。そして、それは若い方であっても無関係なことではありません。若者もいつかは高齢者になる身として、今のうちから生き方を調えておくようにしたいものです。