第19回  「仏道修行の原点」


仏祖の(どう)修習(しゅじゅう)するには
(その)
最初より
(この)
三時(さんじ)業報(ごっぽう)の理を
(ならい)(あき)らむるなり

ここでは、我々が仏法と共に生きていく上で、まず何を押さえておくべきかが説かれています。

道元禅師様は「因果の道理」を抑えておくようにとおっしゃいます。
「因果の道理」とは「ものごとには原因があって、結果が生ずる」という真理でした。ここで道元禅師様は、そんな因果の道理を「自分たちの体験を通じて、深く知っておくように」とお示しになっています。

「効」という文字を見ると、「効果」という熟語を思い浮かべてしまいます。「ききめ」のことですね。実は、この文字を漢和辞典で調べてみると、「学ぶ」という意味があるそうです。特に「鞭打って習わせる」という意味合いがあるそうで、そこから転じて、「ききめ」という意味も出てきたようです。

また、「験」は「経験」の「験」ですね。ここでは「あきらむる」と読んでいることから、冒頭の「明らめる」の意味も含まれていると思うと、さらに内容が深みを帯びてくるようにも思います。「因果の道理」を自己の体験を通して明らかにしておくことが仏道修行の原点だというのです。

毎日、いろんな出来事があり、いろんな方と関わらせていただきます。中には今、充実した人生を送っていらっしゃる方がいます。それが自分自身の行いの結果であることは確かです。今の幸せをかみ締めるとき、自分の行いを慎みながらも、先祖への感謝の心を大切にして、それを自分たちの子孫へ伝えていきたいものです。

逆に、今、辛い境遇の中で苦しんでいる方もいらっしゃいます。中にはその原因を周囲に求める人もいらっしゃいますが、それでは何の解決にもなりません。相手には相手の考え方があれば、都合や事情もあります。それをこちら側から一方的に考えを押しつけて変えようとしても変わるものではありません。自分に原因を求め、自分から改善していく方が、どんなに早く苦しみから解放されるか?どれほどまでに周囲の環境が変化するか?結局のところ、今の状況を改善し、変化させられるのは「自分」しかいないのです。だから、他を責める前に、自己に原因を求め、自己を変えていくしかないのです。その結果、周囲が変化していきます。そこから、自分にも幸せが訪れるのです。

自分を変える努力を怠り、周囲を半ば強引に変えることを求めるから、不幸が訪れるのです。実は意外にもそんな人間は多く、そうした人間がトラブルを引き起こすのです。よくよく考えれば、変化には相当のエネルギーが必要です。それなのに自分は何も変化しないという楽な道を選んでおきながら、他には変化を求め、苦しい道を歩ませようとする―こんな身勝手な話はないと思いますがいかがでしょうか?

そうした日常生活の中における周囲の人々との関わり合いの中から「因果の道理」を体験的に学んでいくことが、仏道を学ぶ上で、最初に明らかにしておくべきだというのです。それは、まずは自分が仏道を歩み、自らの人間性を高めてから、周囲にも安楽が訪れるような行いを為すことなのです。