三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事

第33回「啐啄同時(そったくどうじ) ―ベストタイミングを探る―」

是れ佛の強為(ごうい)に非ず、機の周旋(しゅうせん)せしむる所なり。

前回、「法執」ということについて触れさせていただきました。あまり法(お釈迦様のみ教え)を絶対視し過ぎてしまうと、法に対する執着を生み出します。その結果、たとえば、自分の意に沿わない者がいようものならば、法で理詰めに相手を説得し、相手を法で従わせようとするようなことも起こりかねません。これは法を武器にした考え方の強要と言えるでしょう。道元禅師様は、それを「強為」という言葉を用いて表現なさっています。ここでは、強為はお釈迦様に帰依し、そのみ教えを説く学道の者としては、避けるべき姿であることを確認しておきたいところです。

強為に対して、「云為(うんい)」という言葉があります。これは強制的な押し付けとは正反対の、自然の流れを重視し、それに我が身を委ねながら行動していくことを意味しています。そうした云為の立場を取るのが仏教であり、「機の周旋せしむるなり所」が指し示すところなのです。

ここ数ヵ月、様々なトラブルの仲介に奔走する毎日が続いていますが、そんな中で、日頃から親しくさせていただいている方丈様から「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅語を教わり、心がカラッと晴れるような爽快感を覚えました。動物の卵が孵化(ふか)するのは、啐(ヒナが卵の内側からつつくこと)と啄(母ヒナが外から卵をつつくこと)のタイミングが一致するときです。それと同じように、何事もベストタイミングというのは、一方の都合のみで、強制的に進めることによってもたらされるものではありません。そこに関わる全ての者が周囲から様々な影響を受けながら、変化を繰り返し、次第に考え方や行動が一致していくことによって訪れるものなのです。すなわち、自然の流れの中で来るべき時にベストタイミングが訪れるのです。それが「啐啄同時」の意味するところです。

厄介な案件や面倒な問題というのは、できるだけ早く、傷の浅いうちに解決したいと誰もが願うものですが、あまり早期解決を望み過ぎると、事を半ば強引に、自分の思い通りに進めようする気持ちが生じてしまい、失敗に終わることが多々あります。頭を駆使し、どんどん行動に移す姿は勇ましく、頼もしくさえ見えますが、必ずしも皆が幸せになるとは限りません。ときには相手の出方を待ったり、周囲の状況を十分に見極めながら、皆が気持ちよく過せるようなベストのタイミングを見計らって、行動を提示していくことが大切なのです。

トラブルは精神的にも苦痛が多く、でき得ることならば避けたいものですが、関わることによって、様々な解決策を学べたり、自分のメンタルが鍛えられ、打たれ強くなったりと、いい面もあります。トラブルの多くが人間関係によるものですが、「仏の強為に非ず、機の周旋せしむる所なり」の一句を思い起こしながら、あまり強制的に進めず、関係者の声をよくよく聞きながら、解決に向けて進めていきたいと思っています。