第20回  「法演の四戒」を味わうC
好語不可説尽(こうごときつくすべからず
)


何事も全てを説き尽くさず
一考与えるような余韻を残して説く

「法演の四戒」も今回でいよいよ最後となります。
法演は最後となる第四句の中で「味わいのあるすばらしい言葉をこと細かく説き明かしてはいけない」とお示しになられました。


かつて布教師養成所に通わせていただいていた頃、講師のご老師が同じことをおっしゃっておられたことが思い出されます。「全て語らず、敢えて、聞き手に一考与える余地を残すことで、余韻の残る話が生まれる。」と

ご老師のお言葉は、当時、駆け出しだった私にとって、衝撃的なものでした。なぜならば、私は法話とは、お釈迦様や祖師方のみ教えを全て残らず説き尽くすものだと思っていたからです。

確かに、聞き手の立場に立ったとき、全て話していただければ、たくさんの得るものがあるかもしれませんが、全てを一度に把握し、理解するのは至難の業です。加えて、聞き手が自分の視点から味わっていこうとか、自分の問題として考えていこうとするような姿勢は育ちにくいかもしれません。仏のみ教えにもさることながら、何事も自分の「五感(眼・耳・鼻・舌・身体)」に「心」を加えた「六根(ろっこん)」をフルに駆使して触れていくならば、その真実性に気づき、同じ言葉でもより一層、味わい深くなっていくのです。

布教の道を歩む一人として、そうした「自分の視点からの味わい」という余地を残しながら、すばらしい言葉が持つ余韻を聞き手と共有できる布教を目指していきたいものものです。