三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事

第37回「仏道 ―中道(ちゅうどう)の道―」

()こに於て退歩(たいほ)せば、佛地(ぶっち)(ぼっ)(ちょう)す。

いよいよ「仏道は必らず行に依って証入すべき事」の最後の一句に入ります。坐禅という行以外には、仏の悟りの世界に近づいていく方策はなく、これまでの仏教祖師方も行(坐禅)をやって、やって、やり続けることによって、仏の道を成してこられました。それが前段において提示された「行足(ぎょうそく)を挙して、証階(しょうかい)()する」の意味するところなのです。

こうした仏のお悟りを目指して仏道修行に邁進する姿(進歩)に対して、「退歩」というのは、「自分の内面を見つめなおし、根本に立ち返ること」を意味します。「退歩」は進歩とは真逆の、後退していくような、消極的なものではありません。一度、歩みを進めるのをストップさせ、しっかりと今の自分と向き合い、その姿を見つめることなのです。

そうした進歩と退歩の繰り返し・同時進行によって、「佛地を勃跳す」と道元禅師様はお示しになっています。仏のお悟りの境地を「勃(思いがけず)」「跳(高く飛び越える)」というのです。仏道というのは、進むだけでもダメ、立ち止まってばかりいてもいけない、進歩と退歩のいずれにも偏ることなく、双方、同時進行にて行じていくことであるということを最後に押さえておきたいと思います。まさに仏道は「中道の道」であり、「偏らない歩み」なのです。