第26回「第一章・本則 一枝の金波羅華がつないだ仏縁」
【本則】 第一祖、摩訶迦葉尊者、因に世尊拈華瞬目し、迦葉破顔微笑す。
世尊曰わく、「吾れに正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶迦葉に付嘱す。」
お釈迦様が耆闍崛山(霊鷲山)という所で説法をなさっていたときのことです。霊鷲山はお釈迦様の説法地の一つで、ここで繰り広げられた人間同士のドラマは、現代にも仏教説話等、様々な形で伝わっております。
そんなエピソードの一つとなるのが、今回から瑩山禅師様によって提唱されていくお釈迦様と高弟・摩訶迦葉尊者とのやり取りです。お釈迦様が霊鷲山にて大勢の人々の前でご説法をなさっていたとき、その中にいらっしゃった迦葉尊者との出会い・関わり・師弟関係形成に至るまでの一連の流れ、そして、それに対する瑩山禅師様の詳細なご説明と見解が示されていくわけですが、その具体的な内容を語る上でキーワードとなるのが、「世尊拈華瞬目」や「迦葉破顔微笑」、「正法眼蔵涅槃妙心」です。それらに触れながら、お釈迦様と迦葉尊者とのエピソードを読み味わってまいりたいと思います。
まず、迦葉尊者について簡単に触れておきたいと思います。古代インドにおける十六大国の一つで、お釈迦様の成道や布教伝道が行われた摩竭陀国のご出身で、お釈迦様の十大弟子のお一人、その中でも「頭陀第一」と呼ばれたほど、厳しい頭陀行(質素に徹した仏道修行に励むこと)を修せられた方です。また、お釈迦様がお亡くなりになったとき、高弟の中でも年長者であったことから、お釈迦様の葬儀を執り行うと共に、葬儀の後、五百人からのお弟子様たちを集め、お釈迦様の教法を確認し合い、後世に伝える会議の場(結集)を持った方でもあります。
そんな迦葉尊者がお釈迦様のご説法をお聞きするべく、大勢の方が集う霊鷲山にいらっしゃったとき、仏教を守護する役割を有する梵天王がお釈迦様に一枝の金波羅華(金色の蓮華)を差し出し、説法の依頼をなさいました。すると、お釈迦様は梵天王のご依頼に応じて、壇上に登壇し、人々にいただいた一枝の金波羅華を拈じてお見せになりました。
このとき、聴衆のほとんどがお釈迦様の意を解することができず沈黙してしまったのですが、ただ一人、そのお釈迦様の意を解して、破顔微笑(にっこりと微笑むこと)なさった人物がいらっしゃいました。それが迦葉尊者でした。お釈迦様は言葉だけでは語り尽くせぬ仏法のお示しを梵天王からいただいた一枝の花に込めて、聴衆に提示なさったのですが、それに対して、その場では迦葉尊者のみが、お釈迦様の意を理解し、静かに微笑むことで回答なさったというのです。これが「世尊拈華微笑」として今日まで伝わるお釈迦様と迦葉尊者のエピソードです。
お釈迦様のお悟りというのは、全てが言葉で表現しつくせぬ高尚で尊いものなのです。自らの苦悩から救われたい等、様々な思いを持って霊鷲山に集う大勢の聴衆は、お釈迦様が発する言葉の一字一句もを聞き逃すまいとなさっていたことでしょう。そんな中で、一枝の華を拈じながら言葉だけでは表せぬ仏の境地・お悟りを提示なさったお釈迦様の意を一体、誰が解することができただろうか?―唯一、ご理解なさった迦葉尊者こそが、お釈迦様の後継者に相応しい人物であり、だからこそ、お釈迦様から迦葉尊者に仏のみ教えが伝わっていったのです。それが「正法眼蔵涅槃妙心」であり、後世、仏教祖師方が師から弟子へと伝えていったものなのです。
前回、瑩山禅師様がお示しになった「一枝秀出す老梅樹、荊棘、時と与に築著し来る」という偈頌(頌古)について触れさせていただきました。これはお釈迦様の成道に関する偈頌なのですが、老梅樹(我)という、様々な存在から仏に成るものも出てくれば、荊棘(妨げとなるもの)を有する者も出てくるというのが、この世の定めとは言え、それを踏まえて、仏に近づく道を歩んでいくことが、仏道修行者の使命であることが確認できる偈頌であると捉えています。お釈迦様が拈じられた一枝の金波羅華は、老梅樹から誕生してお釈迦様と迦葉尊者の仏縁を育みました。また、迦葉尊者もこの霊鷲山でのやり取りによって、仏に近づくことができた人材であったと捉えらえます。今一度、瑩山禅師様がお示しになった偈頌にも触れながら、我なる老梅樹から生じた私たちも、少しでも仏に近づけるよう、日常のほんのわずかなものにも見える一枝の花にさえも目を向けながら、毎日を過ごしていきたいものです。