第28回「第一章・機縁A 多子塔前(たしとうぜん)の決定的瞬間」

【機縁】 多子塔前(たしとうぜん)にして、(はじめ)世尊(せそん)()ひたてまつる。
世尊、善来比丘(ぜんらいびく)とのたもふに、鬚髪(しゅはつ)すみやかに落ち袈裟(けさ)体に掛る。
(すなわ)正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を以て付嘱(ふしょく)し、十二頭陀(じゅうにずだ)を行じて、
十二時中(むな)しく過ごさず。

―「三十一相を具足(ぐそく)する婆羅門(ばらもん)迦葉尊者(かしょうそんじゃ)」―
尊者にとって、生涯に渡る師となる世尊(お釈迦様)と初めて出会った場所が「多子塔前」であることが瑩山禅師様より提示されます。「多子塔前」において、お釈迦様と迦葉尊者は出会い、正法眼蔵(仏法)が伝わったのです。それは仏教史における「初めての師から弟子へと教えの相承(そうじょう)」が為された決定的瞬間とも言うべき場面でしょう。

この決定的瞬間について、瑩山禅師様から詳細に説明が施されていきます。まず、「世尊、善来比丘とのたもふに」とあります。「善来比丘」というのは、インドにおいて修行者たちを「ようこそ、いらっしゃい」と歓迎する際に発せられる言葉です。そんなお釈迦様からの温かい歓迎のお言葉をいただいた瞬間、「鬚髪すみやかに落ち袈裟体に掛る」とあるように、迦葉尊者のヒゲや髪がなくなり、袈裟を身につけた、すなわち、「清浄なる出家者の姿になった」というのです。そして、「正法眼蔵を以て付嘱し」とあるように、お釈迦様から迦葉尊者に仏法が伝わり、仏教史上初の師弟関係が多子塔前において誕生したというのです。これは、仏教が後世に伝来していく上での礎ともなった重大な場面と捉えて十分なものです。

そうしたお釈迦様のみ教えを受け継いだという高弟・迦葉尊者は「十二頭陀を行じて、十二時中虚しく過ごさず」という人物であったことが瑩山禅師様より紹介されます。「十二頭陀行」は「修行僧が衣食住における貪りや執着を振り払うための12の修行」です。迦葉尊者は「頭陀第一」と称されたように、誰よりも徹底的に頭陀行を修し、厳格かつ質素な日常を過ごしてきた人物です。「十二時中虚しく過ごさず」からは、一日中、頭陀行に徹底した迦葉尊者の生き様がにじみ出ているような気がいたします。

ここで「十二頭陀」について、一覧表にて下記の一覧表にて触れておきます。

在阿蘭若処 ざいあらんにやしょ 戸外の静かな地で過ごすこと
常行乞食 じょうぎょうこつじき 他者の接待を受けず、自ら食を乞うこと
次第乞食 しだいこつじき 貧富の差なく食を乞うこと
受一食法 じゅいちじきほう 午前中一回と決まっている食事以外は食さないこと
節量食 せつりょうじき 定まった量の食を受け、それ以上、多くの食を受けないこと
中後不得飲漿 ちゅうごふとくおんしょう 午前中一食以外、以降は正食をいただかないこと
著糞掃衣 ちゃくふんぞうえ 人が捨てた汚衣を縫うなどして着用すること
但三衣 たんさんね 定まった三衣以外は着用しないこと
塚間住 ちょうかんじゅう 墳墓にあって住すること
樹下住 じゅげじゅう
露地坐 ろじざ 屋外の草地や樹下に住むこと
但坐不臥 たんざふが 常時坐禅を行じて、横にならないこと

こうして見てみますと、「十二頭陀」が大変厳しい修行であることが伝わってまいりますが、一つの行に徹底することが仏道であることに改めて、気づかせていただくのです。