第4回 「心の大掃除」の習慣化
私には3人の子どもがいます。そのため、クリスマスは一般のご家庭のように、毎年の恒例行事となっております。本来はクリスマスは仏教とは関係ないのですが、子どもには「家がお寺だから、クリスマスはしません。」といっても通用するはずはありません。最近の子どもたちは、サンタの正体をお見通しだと聞きますが、それでも、ケーキを食べて、サンタからプレゼントをもらうのは、子どもにとって、楽しみなものでしょう。子どもに夢を与えるクリスマス―せめて、子どもたちががサンタの正体に気づくときまで、夢を与え続けていけたらと思っています。
さて、クリスマスが終れば、年末です。充実した日々を過ごせたという方もいらっしゃれば、あまりパッとしなかったという方もいらっしゃると思います。いずれにせよ、多くの方は一年を振り返りながら、家の大掃除に追われ、新年を迎えるのではないかと思います。
「なぜ、年末には大掃除をするのだろうか?」と問われれば、「きれいな気持ちで新年を迎えたいから」と答える方が多いと思います。やはり、自分の身辺をきれいにしておけば、気持ちよく新年を迎えられますし、何となくその年がいい年になるような気になります。そう思うからこそ、大掃除をするのではないでしょうか?
そんな家の大掃除と同じように、行っていただけたらと願うものがあります。それは「自分の心の大掃除」です。できれば、この1年間で自分の心にこびりついてしまった垢や埃を年末の大掃除できれいにしてから、新年を迎えたいものです。
そんな「心の大掃除」について示されているのが今回の一句です。“
だから、定期的に仏性のメンテナンスを行う必要性が出てきます。自分と心静かに向き合い、仏性の存在を確かめると共に、汚れがあるならば定期的に掃除しておくのです。「誠心を専らにする」には、私たち自身が自らの仏性の存在に気づいていくことが前提条件となるのです。
そうした純粋な心で自らが犯してしまった過ちに対して、二度と同じことを繰り返さないことを誓うのが「懺悔」です。仏教徒の懺悔とは、やはり、自分自身が信仰する仏様と対面し、眼前の仏様にその意を表することでしょう。
そうした仏教徒が懺悔する姿のごとく、私たちも過ちを犯してしまったら、その相手を仏様のごとく敬い、我が身を省み、誠心誠意、純粋な心で懺悔の意を表していくのです。
かつて、ある先輩から「自分の苦しみの原因はすべて自分が作ったものだから、人や周りの環境のせいにしてはいけない」と教わったことがありますが、人間はついつい思い通りにならないことがあると、その苛立ちからか周囲にその原因を求めてしまうものです。
しかし、誠心を専らにする(純粋な心で物事を見る)と、責任転嫁の矛先が周囲ではなく自分に向くようになります。人のせいにできなくなるのです。相手に対する怒りや憎しみしかなかったのが、だんだんと謙虚な姿勢が芽生えてきます。だから、事あるごとに誠心を専らにし、懺悔という修行を繰り返しながら、自らの仏性が磨かれ、人間としての元来のあるべき姿に立ち返ることができるのです。それが“心の大掃除”です。
年末には今年一年を振り返り、心の大掃除をして、新年を迎える―
年末年始だからこそ、懺悔の意識が芽生え、気合いが入りやすいという面もありますが、心の大掃除は年末でなければならないというものではありません。いつでもすべき大切なことなのです。心の大掃除が習慣化することを願っております。