大連そして帰途へ
大連の町は旅順から40キロくらいのところにあります。
203高地見学の後大連の町へ行き
ロシア街を歩きました。
お店をうろうろしたり、おみやげを買ったり。
先日”なかにし礼”原作の映画「赤い月」をテレビで見た。
大連の小学校が左のような、ロシア風の建物であったことを知った。大連に行っていなければ映画を見ても何気なく見逃すところだが、懐かしかった。
いよいよ明日は帰る日だ。
中国東北部は中国でも貧しい地方だと言うが、戦前見渡すような大荒原だった大地が、今は見渡す限りのトウモロコシ畑、水田になっている。
安い食料はまだ充分にある。
きつい寒さをどうして過ごしているのかと思うほど、バラックの建物も多い。
でも現代化された都市のようなぎすぎすした感じが無い。
日本と中国、分かちがたい隣人。
楽しくも考えさせられた旅でも有った。
あけて9月3日、福田氏は長春の学校へ、私たち3姉妹は日本の成田へと向かった。
あれから4ヶ月も過ぎて記憶が曖昧になってきている。福田氏は今お正月で日本に帰ってきているらしい。
成田に9月3日のお昼頃着き、すぐに上越新幹線、北陸線と乗り継いで家に帰った。
家に帰り着いてすぐに「はい、おみやげ」と出したいし、次の日の集まりに話の種にみんなに月餅を買ってきたので
少し重かったが、荷物は宅配にせずに持ち帰った。
今度もそうだが、私の姉は金銭管理がしっかりしていて、彼女が大学に進学した頃から出納帳が有る。
今回も全員の出納をしてくれたので、そこから記憶をたどることができた。同じ親に育てられたのに、私は今まで1ヶ月と家計簿を完結したことがない。見習おうと思うのだが続かない。家族構成も違うし、いろいろ条件もあるから仕方がないと言えなくも無いと自分を慰めている。
姉とその夫、いつも付き合ってくれる妹に感謝。