「ここから先はもう安全だ」
ナギ平原へ続く橋の手前にガリクは立っていた。 
彼の前には、教え子であるロンゾの子どもたちが並んでいる。

彼らはナギ祭を見にガガゼドを下りて来たのだ。 
ほとんどの子どもが山を下りるのは初めてなので、興奮ぎみだ。 
リアンとエイドは班長として頑張っている。

 ナギ祭の知らせを受けた時、キマリは、子どもたちに世界を見せる良い機会だと
考えた。 
さまざまな人に会って、きっと子どもたちは何かを得るだろう。
その、最初の一歩が祭り見物だとは、以前のロンゾ族の考え方では、甘い、と言わ
れそうだが。

 …キマリはごほうびを与えたかったのだ。 
ロンゾの未来を背負って立とうと、厳しい修行に励んでいる子どもたちに。

 ナギ平原までの道中、事件などに巻き込まれないよう、ガリクが子どもたちを引率
して来た。
「…明後日、正午にまたここへ集合。 
祭りの場とはいえ、ロンゾの誇りを忘れるな。 決して、はめを外すんじゃないぞ」
ガリクの話を子どもたちは真面目に聞いていた。 
幼い子や女の子もいる。

「先生、先生はお祭りにいらっしゃらないんですか?」
小さな子が聞いた。 
ガリクは口をへの字にして、うなずいた。
「俺には、御山を守るという…」

「…!?」
橋の下、谷底から、悲鳴が聞こえた。
子どもの声だ。

谷底には、危険な生き物が多い。 
子どもがそれに襲われたのだろうか。

 ガリクは谷底へ身を躍らせた。
「リアン、エイド、皆を守れ!」

「あっ」
「先生!」
「ガリク先生!」
ガリクはガガゼド山で鍛え上げられている。 
身軽に岩から岩へ飛び移り、たちまち下へ降りていった。

「か… かっこいい…」
ロンゾの少女が、ため息をついた。

 感度のいいガリクの耳が、嫌な羽音をとらえる。 
岩陰から音のする方向を窺う。 
ガリクが両腕を広げたよりもまだ大きい蜂が、羽をふるわせて、浮かんでいた。
「べスパだ」

ガリクは蜂が狙っている獲物を見た。 
やはり、子どもだった。 
両手で頭をかかえ、突っ伏して泣いている。 
ナギ祭にやって来て、谷底へ迷い込んだのだろう。

「ばかが。 親たちはなにをしているんだ」
舌打ちをした時にはすでに、べスパはガリクの槍に払われて、音をたてて地面に
落ちていた。

「泣くな。 早く立て」
ガリクの言葉に、子どもは、しゃくりあげながら、顔を起こした。
グアド族の少女だった。

 ガリクの呼吸が一瞬止まる。 
少女は悲鳴をあげ、ガリクの後ろを指差した。

 ふりむきざま、ガリクは地べたでのたうっているべスパに槍を突き立てた。
「くそ! まだ生きていたのか」
べスパは、脚を縮め、幻光になって消えた。 
しかし、ガリクも蜂の針で傷ついていた。

…不覚だった。 とどめを刺さずにいたなんて… リアンたちがここにいなくて、良か
った。
自分の愚かさを悔やんでいるガリクに、グアドの少女がすり寄って来た。

胸に青い花を飾った服は、ほこりまみれで、顔には涙のすじが出来ている。 
が、ガリクを怖がってはいない。
…ロンゾに会ったことがないのか…

 ガリクは黙っていた。 
すると少女は、ポケットからポーションを出すと、止めるまもなく、ガリクに使った。
ガリクを見上げる少女の目に、新しい、透き通った涙がうかんだ。
「痛い? おじちゃん」
少女は、ガリクの癒えて行く傷の上に、そっと手をおいた。 
そうすれば、もっと早く傷が治ると思っているのだろう。

  ガリクはやはり何も言えないでいた。 
あれほど憎いと思っていたグアド族なのに、その小さな手を払いのける事ができな
かった。
  
こいつは、弱い、泣き虫のチビだ。 だけど、こいつの涙は、ガガゼドの木々の先で
キラキラ光る雫みたいだ。 
そう、陽に溶ける雪の雫。

 ガリクが少女をひょいと肩に乗せると、きゃっと言って、少女はうれしそうに笑っ
た。 
少女のひざは、乾いた血と泥でよごれている。

べスパに追われて転んだのか。 …たぶん、ひとつしかないポーションをこいつは…
なにも無かったかのように、はしゃぐ子どもを肩に乗せて、ガリクは谷を登った。

「先生!」
ロンゾの子どもたちは、崖から上がって来たガリクの姿に、目を丸くした。
肩に女の子を乗せ、ゆたかなたてがみには、水色のかわいい花を一輪さしている。

「あの花、どうしたんだろう」
一人が、隣の少年に聞く。
「わかんないよ。 お祭りだからじゃないか?」
小声で、返事が返る。

「あの子、だあれ?」
「見たことないね。 でもいいなあ、わたしもあの子みたいにして欲しいなあ」
「うん。 ガリク先生って、ステキだよねえ」

 ロンゾの少女たちは、たくましいガリクの姿に、ユウナ様を守って旅をしたという、
キマリ長老を重ねていた。 
女の子は誰でも、…もちろんロンゾ族の女の子も、姫と騎士の物語にあこがれるも
のだ。

 子どもたちの熱い視線の中、ガリクは少女を地に下ろした。
「ナギ平原のイベント会場まで、送ってやれ」
皆がうなずく。 
リアンとエイドは特に真剣に。 
ここから、リーダーは自分たちなのだ。

 グアドの少女はロンゾの少女と手をつないで、橋を渡って行った。
渡り終えると、振り返ってガリクに大きく手を振った。

 ガリクは彼らが緑にとけて見えなくなるまで、橋のたもとに立っていた。

            


「あら、どうしたの、その花は?」
ガガゼドに戻ったガリクは、村の娘にそう言われて、きょとん、とした。 
娘は手を伸ばすと、ガリクのたてがみから、そっと水色の花を抜き取った。

「ここらじゃ咲いてない花だわ。 誰かにおみやげ?」
娘は、花の香りをちょっとかいでから、ガリクに差し出した。 
目がいたずらっぽく輝いている。

「違う、これは…」
娘から渡された花は、ガリクも知らない花だった。
…いや、そうじゃない。 …この花は…
「あいつが、胸につけてた花だ」
あのチビ、いつの間に…

「まあ、なんだかロマンチックな話ね」
娘はガリクをからかうと、くすくす笑って逃げた。

「おもいっきり、勘違いだー!」
恥ずかしくて、握りつぶしそうになった花を、ガリクはもう一度見た。
名前もわからない花。 
名前もわからないグアドの少女。

もし、あの日、ユウナの制止を振り切ってグアドを攻めていたら…
この花も、あの少女も、失われていたのだ。

 ガリクは花の色が、なぜこんなに目にしみるのだろうと思った。

…ああそうか。 ガガゼドの真っ白い峰を抱く、空の色と同じだ。

 まぶしくて、涙がにじんだ。

コンサート1  コーナートップ