は じ め に
このたび、「倶利伽羅峠三十三観音めぐり」と題してホームページを作成してみました。
私は、何ゆえこの三十三観音にこころ引かれたか?
ただ、はっきりしているのは、よくも廃仏毀釈の難を超え、全観音がそろってのこっていたのが驚異としかいいようがない。
今ひとつは、いつ頃、誰が何のためにつくったのか。次々と思いがふくらんでくる。そして、最初の安置場所が北陸道のどの地点であったのか。
現在、元の位置を保っているのが25番の観音であり、15番もあまり動いていないとされている。これらの観音仏は津幡町竹橋から小矢部市石坂間64町を2町毎に区切ったのではないか、とも言われている。道標あるいは里程標の役割もになって建立されていたものとも考えられている。