第10回 「仏のメガネをかける」
今回もやや長い引用となりましたが、一語一句味わってまいりたいと思います。まずは、冒頭の「
はじめに「故」という「それゆえに」という意味を持つ文字があります。ここでは、前段のみ教えを受けて、更に展開していると捉えるべきでしょう。前段のみ教えとは、第9回『「到彼岸」への道しるべ』で触れた内容です。悟りを得た仏様のメガネをかけてみることで、これまでの凡夫としてのものの見方や考え方から離れることができれば、「到彼岸」(仏様のお悟りの世界に入ること)ができるということでした。ですから、ここでは「仏のものの見方(般若波羅蜜)」の習得によって、私たちは此岸から彼岸に至ることができると明示しているのです。
次に目をやりますと、「呪」という文字が多用されていることに気づきます。この文字は「呪文」という言葉から想像できますように、「祈る」とか「まじなう」という意味を持った文字です。試しに漢和辞典を見ると、同字として「咒」という文字も出ています。
毎月28日とお正月、、高源院の前を通る
もう一点、押さえておきたいのが「大」という文字です。これまで述べてきましたように、仏教では比較して、嫌いなものは避け、好きな方を選ぶというのではなく、双方のよさを受け入れていくという、広大な視野を持つことの大切さが説かれています。それが仏のものの見方なのです。ですから、ここでの「大」とは、「大か小か」といった比較を越えた、限りなく広大で奥が深いということを意味しているのです。
仏のものの見方を身につけることは、決して、容易いことではありません。しかし、諦めずに、仏のお悟りに向かって地道に精進すれば、必ず到彼岸できるのです。それを説いているのが、「
そうした般若波羅蜜というみ教えと共に生きていくならば、一切の苦しみが取り除かれるということを「
もう一点、押さえておきたいのは、万事が変化していくことを説く「諸行無常」ということです。いつか訪れるであろう死を恐れてみたり、大切なものを永遠に失いたくないと願う気持ちは誰しも持っています。しかし、この世には時間という存在があります。万事が時間と関わっているがゆえに、変化していくというのが、この世の真実の姿です。虚無の姿に捉われることなく、真実を受け止められるようになりたいものです。
変化を繰り返す虚無の存在ばかりの中で、お釈迦様のお悟りだけは、唯一絶対のものであるということを説いているのが「真実不虚」です。どうか我々、凡夫が仏のメガネをかけ、少しでも仏の生き方を此岸で実現できることを願うばかりです。