「目連尊者に学ぶ−お盆をどう過ごす?−

お互いに労り合い、支え合いながら生きてきた母と息子がいました。ある日、母が亡くなりました。最愛の母との別れという辛い現実・・・それでも息子はその現実を受け入れ、悲しみを乗り越えることができました。そして、この世に残った自分が毎日、何かいいことをしていくことで、あの世のお母さんが喜んでくれるに違いないと信じ、ひたすら善行に励みました。ただただ、母の幸せと成仏を願って・・・。

それからどれくらいの月日が流れたことでしょうか・・・

息子は自分の行いの成果が届き、あの世の母が幸せになっているだろうと思っていました。しかし、その期待は見事に裏切られてしまいました。あの世の母は幸せに過ごすどころか、逆さ吊りにされ、食事も与えられずにやせ衰え、苦しい目に遭っていたのです。びっくりした息子は母を何とか救おうと、日頃から全幅の信頼を置いている人生の師に母の救済方法を相談に行きました。

息子の何とか母を救いたいという思いからあふれ出る一言一言を聞き漏らすことなく、じっと耳を傾けてくれる師―そんな師の姿勢が息子にとっては大きな支えとなりました。だから、すべて心の内に抱えた苦しみをはき出すことができたのでしょう。

そんな息子に師はおっしゃいました。

「7月15日。その日はそれまで約3ヶ月間の厳しい修行に励んできた修行僧たちが一同に集い、それまでの3ヶ月の反省会を行う。彼らに食事をごちそうしたら、お母さんはきっと助かるよ」と。

息子は師に教わるがままに、師の言葉に従いました。すると、師の言葉通り、本当に母は救われたのです。

これはお盆の起源となりました「仏説盂蘭盆経」に出てくる目連尊者とその亡き母のエピソードです。あの世で苦しい目に遭っている亡き母を救う方法を師のお釈迦様に相談した目連尊者。素直に師のお示しに従ったところ、母が救われたというお話です。

このお話を深く味わっていくと、興味深いことに気づきます。

それは救われたのは亡き母だけではないということです。母が救われることを願っていた目連尊者も、その願いを叶えることができたわけですから、母も子も共に救われたということなのです。

その救いの背景には、お釈迦様のお示しに素直に従えば、人が救われたという事実があります。困ったときや悩んだときに、お釈迦様のお示しを紐解き、そのみ教えを実践してみるのです。そこには目連尊者のように、日頃からお釈迦様を自分の拠り所とする帰依の姿があって始めて、人は救われるということを押さえておかねばなりません。

お盆を迎えるにあたって、2ヶ月にわたり、この「仏説盂蘭盆経」のエピソードを味わってまいりました。先月は7月15日の修行僧が釈尊の下に集い、自らの行いを反省する「自恣の日」にちなみ、我々も日頃の自分を見つめ直し、よき自分を目指していくという意味でお盆を過ごしていきたいというお話をいたしました。

それに加え、今月は「帰依」という観点から、日頃、私たちが仏・法・僧の三宝に帰依して生きていくことを、お盆を過ごしていく中で身につけていきたいということをお話しさせていただきました。どうか自分が人間として一歩でも成長できるような、有意義なお盆を過ごしていただくことを願っております。