「遠離(おんり)」のみ教え

今回は「仏遺教経・八大人覚(はちだにんがく)」の中から「遠離」のみ教えについて触れられている箇所を抜粋し、提示させていただきます。

本文
汝等比丘(なんだちびく)寂静無為(じゃくじょうむい)の安楽を求めんと欲せば(まさ)憒閙(かいにょう)を離れて独処(どくしょ)閑居(げんご)すべし、静処(じょうしょ)の人は帝釈諸天(たいしゃくしょてん)の共に敬重(きょうじゅう)する所なり、是故(このゆえ)(まさ)己衆他衆(こしゅたしゅ)を捨てて空間(くうげん)独処(どくしょ)して滅苦(めっく)(ほん)を思うべし、()し衆を(ねが)う者は即ち衆悩(しゅのう)を受く、(たと)えば大樹(だいじゅ)衆鳥之(しゅちょうこれ)に集れば即ち枯折(こせつ)(うれ)いあるが如し、世間の縛著(ばくぢゃく)衆苦(しゅく)に没す、(たと)えば老象(ろうぞう)(でい)(おぼ)れて自ら()づること(あた)わざるが如し、(これ)を遠離と()づく。

意訳
弟子たちよ、一切の迷いや妄想から離れ、自由自在の安楽を求めるのならば、乱雑で騒々しい場所から離れ、一人静かにのんびりと過ごすのがよい。一切の迷妄を脱した者は帝釈天(注1)
始め多くの天の神が敬い重んずる存在である。だから、自分の一族だから大切にし、他人の一族だから知らないというような差別をやめて、静かな場所で過ごし、苦しみを滅する方法を考えてみなさい。賑やかな場所では人と関わる機会が多いので、人から悩みをもらうことになる。それは大きな木に鳥がたくさん集まってくれば、枝が折れるなどして、木を枯らしてしまうようなものであり。世間の名誉や縛りは人々に苦悩を与え、我が身を滅ぼしかねない。老いた象が泥沼にで溺れて、自分で脱出できなくなるようなものである。だから、世間の喧騒から距離を置くべきであり、これを「遠離」という。  
   (注1)帝釈天 仏法の守護神

毎週日曜日の夜に「ポツンと一軒家」という番組が放映されています。この「遠離」というみ教えに触れてみますと、まるで、お釈迦様が「ポツンと一軒家」で紹介されるような山中に一軒家を構え、世間との関わりを断って暮らすことを推奨しているような印象を覚えます。

しかし、お釈迦様は「ポツンと一軒家」を推奨しているのではありません。一見、自分を惑わせるような存在がないように思われる静かな山中の生活にも様々な苦悩があることは「ポツンと一軒家」に登場する人々の言葉から伝わってきます。

私たちが遠く離れなければならないのは、自分の身心を乱す存在でなのです。自分を乱す存在に出会ったとき、そこから離れ、身心を調える。そうやって冷静になってから、再び日常生活に戻る-これがお釈迦様が指し示す「遠離」という、我が身心の調え方なのです。
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