第4回 「
三宝の
―インドから中国へ、そして、中国から日本へ、さらに欧米諸国へ―
お釈迦様のみ教えは人から人に伝えられ、土地土地の文化や習慣と融合しながら、それぞれの地に根付いてきました。
そんなお釈迦様のみ教えの基本にあるのが「三宝帰依」です。私たちがそうした三宝とご縁を結んでいくことで、日常生活の中に仏法が浸透していくのです。
とは言え、仏教が伝わっているとしても、そこに暮らす全ての人が三宝とご縁を結んでいるとは限りません。
今回のお話は、そんな三宝とのご縁を結んでいない人のお話です。いったい、道元禅師様はそういう人々をどう捉え、何を願っているのか−?それを修証義から読み味わってみたいと思います。
思うに、人が三宝と巡り合えるタイミングは、それぞれの人生経験(悲しみや苦しみの体験)などによって、違いがあるものではないかと思います。早くに出会える人もいれば、遅い人も、未だに出会えていない人もいます。
今回、登場している「
しかし、人々に温かい眼差しを向けられる道元禅師様のお言葉であるという観点からこの言葉を捉えていくならば、冷酷非道な人間と捉えるよりも、「(諸事情によって)三宝と未だご縁を結んでいない人」と捉えたほうがよろしいかという気がします。そう捉えていくと、「三宝の名字猶お聞き奉らざるなり。何に況や帰依し奉ることを得んや」へとスムーズにつながっていくのです。「三宝とのご縁がないから、三宝という名すら聞いたことがない。だから、帰依したくてもできないのである」と説いているのです。ここでは、日本の文語文に用いられる「
人それぞれ、三宝に出会うタイミングに違いはあるものの、三宝は常に門戸を開き、人とご縁を結ぼうとしているのです。それなのに、私たちの方が自分の都合や誤った考え方を捨てきれないでいるがために、三宝とのご縁を結べずにいるのです。
そんな人間を道元禅師様は決して、無信仰者だとか、誤った人間であるなどと非難しているわけではありません。諸事情によって三宝とのご縁に巡り合えていないだけであり、もしも、少しでも早く三宝に出会えたら、日々の苦悩から解放される道が開け、いただいたいのちを正しく生かすことができただろうに・・・と残念がっていらっしゃるのです。
「薄福少徳の衆生」がそのことに少しでも早く気づき、三宝とご縁を結ぶことを道元禅師様は願っていらっしゃるのです。