第6回 「三宝帰依がもたらすもの」


早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、
衆苦
(しゅく)
解脱(げだつ)するのみに非ず、
菩提(ぼだい)成就(じょうじゅう)すべし


三宝に帰依することによって、「衆苦(しゅく)解脱(げだつ)する」ことができると道元禅師様は仰います。それが三宝帰依によって得られる一つ目の功徳です。道元禅師様はこの前段で、三宝以外のものに帰依したところで、苦しみから救われることがないことをお示しになっていらっしゃいます。

次に“菩提の成就”とありますが、これが三宝帰依がもたらす二つ目の功徳です。「菩提」とは「ほとけさまのお悟り」です。ということは、“菩提の成就”とは、これまで何度か申し上げてきた私たち人間の共通の“生きる目標”である「成仏(人間性の完成)」であることに気づきます。

三宝帰依は、人間が生きていく上で巡り合う様々な苦しみを和らげることができる上に、各々の人間性の完成につながっていくのです。だからこそ、少しでも早く三宝とご縁を結んでほしいと道元禅師様は願うのです。

そもそも誰もが、最初は三宝とご縁のない「薄福少徳(はくふくしょうとく)衆生(しゅじょう)」なのです。だから、最初は自分が帰依すべき心の拠り所がありませんでした。その結果、心を惑わし、困ったことがあれば、場当たり的なものに救いを求めようとしてきました。しかし、結局は救われることもなければ、人間性を完成させることもできなかったのです。

そうした三宝とのご縁になかなか巡り合えないというのが、我々の現実ではないでしょうか?しかしながら、2章の冒頭に「仏祖憐みの余り広大の慈門を開き置けり」とあるように、三宝側は、常に我々に対して広大な門戸を開いているのです。

しかし、私たちの方が三宝に歩み寄らない、すなわち、三宝帰依の姿勢がないために、三宝と巡り合えないのです。私たちが三宝とご縁を結び、仏さまの広大の慈門をくぐるかどうかは、我々次第です。できうれば、仏法僧の三宝に我が身を委ね、その門をくぐってみたいものです。