第5回「剃髪(お髪剃(かみそ)り)の儀式 ―故人が出家する意味―


仏式の葬儀の目的とは、亡き人を仏教の開祖・お釈迦様のお弟子様にすることです。これは、亡くなった人が、今まで生かされてきた娑婆世界との縁を断って出家し、仏門に入るということです。

こうした「出家の素晴らしさ」について、道元禅師様のお示しを高弟の弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様がまとめられた「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中で、道元禅師様から懐弉禅師様に語られるという形で触れられます。「出家は父母の恩を捨てて、仏道に入ることである。そうすることによって、次第に恩を父母に限定せず、全ての者への恩が父母の恩と同じくらいに深いものであると捉えるようになり、方々に向かって、自分の善き行いを発していく。」と道元禅師様はお示しなっています。

そうした「出家の功徳」を説いた「流転三界中之偈(るでんさんがいちゅうのげ)」を導師様がお唱えすることから、曹洞宗の葬儀はスタートします。以下の表に、偈文とその内容を提示させていただきます。

偈文 内容
流転三界中(るでんさんがいちゅう) 
恩愛不能断
(おんないふのうだん)
 
棄恩入無為
(きおんにゅうむい)
 
真実報恩者
(しんじつほうおんしゃ)
家族とのつながりを断ち、出家するのは辛いことだが、
仏様の弟子となり、仏の世界に入る修行をすることが、真の報恩の行いである。

引き続き、導師様がお唱えするのは「剃髪之偈(ていはつのげ)」です。お釈迦様のお弟子様になるということは、内面も外見も共に仏弟子としての姿形に変わるということです。

釈尊教団の修行僧たちは剃髪(ていはつ)(髪や髭を剃ること)していました。お釈迦様ご自身も髪を剃っておられ、お弟子様たちにも、月2回の剃髪(ていはつ)を命じておられたそうです。それは「出家の覚悟を決めて、清浄な姿で生きるため」であり、「万事に執着しない生き方を指し示すため」だったそうです。

そうした釈尊教団にちなみ、故人様の髪を剃る「剃髪」の儀式が行われます。ここでは導師様が「剃髪之偈」をお唱えしながら、カミソリで髪を剃る真似をします。こうして、故人様が清浄なる出家者の姿になり、仏様の弟子になるための準備を調えていくのです。

「剃髪之偈」についても、「流転三界中之偈」と同様に、表にまとめてみました。

偈文 内容
剃除鬚髪(ていじょしゅほつ)
当願衆生
(とうがんしゅじょう)

永離煩悩(ようりぼんのう) 
究竟寂滅
(くぎょうじゃくめつ)
髪や(ひげ)を剃って、永遠に三毒煩悩から離れ、
静かなる悟りの世界を究めていきましょう。

人々にとって、「髪」というのは、「大切な自己表現の手段の一つ」ではないかと思います。そんな大切なものを剃ってなくしてしまうことが、出家者の自己表現ということなのですが、その背景にあるのは、人間は髪形に捉われやすく、そこから三毒煩悩が発生しやすいという事由があります。それを防ぐべく、出家者は剃髪し、煩悩に捉われぬ清浄な生き方を表現しているのです。

そうした意味を持つ「剃髪(ていはつ)」によって、故人様は仏弟子となり、遺族にとっての信仰の対象となって、仏縁を育んでくれる存在に生まれ変わるのです。
そうしたご縁によって、私たちは自らの身心を調え、仏に近づいていくのです。