第24回「戒の功徳 ―釈尊の“成道”にちなみ―


群生(ぐんじょう)(とこしな)えに此中(このなか)に使用する
各々の知覚(ちかく)方面露(ほうめんあらわ)れず


本日12月8日は仏教の開祖・お釈迦様がお悟りを得た(この世の道理に目覚めること)日です。これは「成道(じょうどう)」と呼ばれます。時代は今から約2600年前。お釈迦様、35歳のときの出来事です。

そんなお釈迦様の生き様であると共に、人間が生きていくうえでの道標となるのが「戒」でした。戒が身につけば、自分の好みで物事を選り好みすることがなくなるというのが、前回のお話でした。

そんな戒を私たち(群生)が身につけることができれば、その功徳が、たちまち私たちの日常生活に発揮されていくというのが「群生の長えに此中に使用する」が説くところです。戒の功徳は私たちの日常生活の隅々まで広がり、多くの人々を悟りの境地へとお送りするというのです。

次に「各々の知覚に方面露れず」とあります。「知覚」とは「思慮分別すること」でした。ついつい私たち人間は自分の好きなものは受け入れられても、嫌いなものは遠ざけようとしてしまうものです。そうした性質が戒を身につけることで、小さくなっていく―すなわち、どんな場面においても、選り好みせず、平等に接していくことができるというのです。

私の好きな禅語に「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」という言葉があります。「どんな場でも選り好みしなければ、自分を成長させてくれるご縁となる」という意味の言葉です。自分とご縁のあるものに対して、“嫌い”という感覚が働いてしまうと、せっかくのご縁も断ち切れてしまうというのです。

一見、やりたくないと感じる仕事も、付き合いたくないと思う人も、やってみなければ、また、付き合ってみなければ何も見えてきませんし、何もわかりません。成道したお釈迦様のように、この世の道理に目覚め、少しでも物事の本質を見抜ける目を持って日々を過ごしていく上でも、戒を身につけていきたいものです。