第1回  道元禅師様の願い ―普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」を味わうにあたり―


2008年10月5日
この日は高源院で毎週日曜日の朝に行っている坐禅会(やすらぎの会)が始まった日です。私にとって、お寺で一般の方を対象とした坐禅会を開くのは大きな目標でした。その目標が、住職になって5年目の秋にようやく達成することができました。

「やすらぎの会」という名前が誕生するまでには、色々と思案を巡らしました。ただ坐禅会と言ってしまえば、どこか堅苦しいような印象を受けますし、坐禅以外の、たとえば、法話が聞きたいという方には「坐禅しかやっていない」という印象を植え付けるのではないかと感じました。

「何か親しみやすいいい名前はないだろうか・・・?」といろいろ思案した結果、「やすらぎ」という言葉が出てきたのです。そこには、「坐禅こそが仏道の根本であり、疲れ切った心や身体にやすらぎを与えてくれる」という確信がありました。

ご承知のように、今から2500年ほど昔、お釈迦様は坐禅を行い、悟りをお開きになられました。他に何をしたのでもない、坐禅をしたのです。そして、坐禅によって得られたお悟りが多くの人を安楽の世界へと誘い込んできたのです。安楽の世界に誘い込むものは、坐禅以外にあります。念仏だって、写経だって、礼拝だってそうです。しかし、その根底にはお釈迦様が行った坐禅があるのです。つまり、念仏や写経は坐禅を根本とし、坐禅が形を変えたものだと捉えることができるのです。

実際にやってみればわかることですが、坐禅をしてみると、背筋が伸びることで、身体が整います。これを「調身(ちょうしん)」と言います。また、静かな環境が心を整えます。「調心(ちょうしん)」ですね。さらに、調った姿勢や心によって、呼吸が調ってきます。これが「調息(ちょうそく)」です。調身・調心・調息が完成されると、安楽の世界が訪れるのです。果たして、我々の日常の中で、かほどまでにしっかりと身心を調える行いがあるでしょうか・・・?

「そんな坐禅のすばらしさを多くの人に伝えたい!!」という思いによって、道元禅師様は坐禅に関するみ教えを書き記されました。それが「普勧(ふかん)坐禅儀」です。「普」とは「みんな」を意味します。「勧」は「すすめる(誘う)」ということ。「儀」は「作法」です。ですから、「普勧坐禅儀」というのは、「みんなを安楽の世界へ誘い込む坐禅の作法」を記した一編なのです。加えて、「坐禅とはいったい何なのか?」とか坐禅をしていくうちに抱きがちな数々の疑問に対する明快な解答が記されています。

坐禅に親しんでいくためにも、是非一読しておきたい一冊です。