第22回 「ブッダまでの道のり」



衆生(しゅじょう)、仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。
位大覚
(くらいだいがく)
に同うし(おわ)る。真に是れ諸仏の(みこ)なり」と。



「戒(悟りを得た仏様の生き方)が身についたならば、仏と同じ位に立つことになる。それは、まさに、仏の(みこ)(仏弟子)になることである。というのが今回の一句が意味するところです。ここは、これまで道元禅師様が説いてこられた「戒」に関するみ教えのまとめとなる部分です。

大覚(だいがく)”という言葉が出てまいりましたが、これは“大いなる目覚め”ということで、悟りを得ることであり、「悟りを得た人」を指す言葉です。

「悟りを得た人」のことを、ブッダ(覚者(かくしゃ))とも申します。ブッダというと、お釈迦様を想像される方が多いかもしれませんが、あくまで、ブッダとは「悟りを得た人」を意味し、ブッダの一人がお釈迦様であるということです。

これまで「三聚浄戒(さんじゅじょうかい)」、「十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)」と、具体的に戒を学んでまいりましたが、これらを確実に身につけていくことで、「仏の子」になれると道元禅師様はおっしゃっています。

実は、ここが今回の一句における重要なポイントです。道元禅師様は戒を身につければ、ブッダになれるとはおっしゃっていません。あくまで仏の子、ブッダの子であり、仏弟子であるというのです。それはブッダの世界の入り口に立ったばかりということであり、もし、会議室のような場所に多くのブッダが集っているならば、その末席に座っているようなものだというのです。

戒が身についても、やっとブッダの足下に及ぶようなものだということは、それほどまでに、ブッダの世界への道のりは長く、深いものだということです。そして、戒を身につけ、諸仏の位に入ったとしても、修行が終わるわけではありません。仏道修行というのは、いのちある限り、永遠に続くものなのだというのです。たとえ、困難に出会ったからといって、志半ばで仏道を歩むのを諦めてはいけません。まずは「仏の子」に近づけるよう、一歩一歩、進んでいきたいものです。そうすることで、私たちはいただいたいのちを輝かせ、人間性を完成させていくのです。