第23回「住職の使命」


諸仏の常に此中(このなか)住持(じゅうじ)たる
各々
(かっかく)
の方面に知覚(ちかく)を遺さず


「お坊さん」、「和尚さん」、「方丈(ほうじょう)さん」、「住職さん」・・・・こうやって上げてみると、「僧侶」には、様々な呼び名があることに気づかされます。これらの呼び名は、その場の状況などに応じて使い分けられるのですが、中でも「住職」という呼び名について、今日は触れておきたいと思います。

「住職」とは、“住”む“職”ともありますように、日頃、お寺に住んでいて、仏様にお仕えし、伽藍をお護りしながら、人々に仏のみ教えをお伝えしていくお役が与えられた僧侶のことです。いわば、一寺院の責任者であり、会社で言えば、社長のような存在なのです。

そんな「住職」にとって、お寺とは自分の修行の場として、そして、人々へ仏のみ教えをお伝えしていく教化の場として与えられた大切な場所です。いわば、住職にとって、お寺とは仏様のいのちのともしびを現代社会の中で生かし続けていくための場なのです。自分にとっても、周囲の人々にとっても「救い」となり、「悟り」にも近づいていく上での大切な場がお寺です。だからこそ、身をもってお守りしていくのは住職の使命とも言えるでしょう。

今回の一句の冒頭に出てまいります「住持(じゅうじ)」という言葉は「住職」と同義の言葉です。すなわち、戒を身につけ、戒を実践することで、お釈迦様から伝わる「悟りへの道」・「救いの道」を現代社会の中でお示しし、仏様のいのちのともしびを輝かせていくことが「住持」たる「住職」の使命なのです。

そうした住持(住職)という使命を果たしていくならば、仏のみ教えが輝き、「知覚(ちかく)を遺さず」ということになるのです。「知覚」とはものごとを自分の好みで選り分けようとする、いわば、好き嫌いをしてしまう心です。仏弟子たる住職が率先して、周囲を選り好みせず、仏様のみ教えをお伝えするという自らに与えられた使命を果たしていくとき、周囲の人々も自らの煩悩を小さくしていくことでしょう。

こうした住職の使命に関するみ教えに触れるとき、改めて自分の背筋を正していただく場になっているような気がします。今回のみ教えを通じて、今一度、決意を新たにしたいものです。仏のみ教えを受け継ぎ、それを現代社会に生かしていくという使命をいただいた住職として、お寺で修行に励み、お寺をお護りしていく者として・・・。