(あまね)剃度(ていど)す 霊松居士(れいしょうこじ)が願ったこと―


金沢の地に根付き、180年もの長きに渡って続く伝統的な法要「普度会(ふどえ)」―普度会の記録として現存する最古の資料である「普度会起源台簿」を紐解くと、普度会の起源や当時の社会の様子を知ることができます。

1835年(天保6年)に発生した飢饉は江戸期の金沢を餓え野原にしただけではなく、悪病が流行して多くの人々が亡くなりました。そんな世情に心を痛め、人々に救いの手を差し伸べたいという一心から、金沢市内の曹洞宗寺院の僧侶に声をかけ、多額の浄財を喜捨して、亡くなった方々を供養する法要を執り行ったのが通称・能登屋又五郎(のとやまたごろう)寶月霊松居士(ほうげつれいしょうこじ)でした。霊松居士は当時の金沢市内に屋敷を構えていた有力商人で、人心乱れる時代の中、自らも苦しみの真っ只中にありながらも、何とか荒れる社会を救いたいという一心でなさった尊き布施行が、180年経った今も「普度会」という法要を通じて、相承(そうじょう)(伝え受け継がれること)されているのです。

「普度」とは、“普く剃度(ていど)する”ということです。剃度というのは、剃髪得度のことで、出家して仏門の世界に身を投じることです。すなわち、世間の人々を仏の世界に招き込み、安心(あんじん)を与え、心を救済していくのが「普度」であり、世の中がよくなることを願い、その場にいる全てのいのちが救われてこそ、「普度会」だと言えるのです。

そうした普度会を執行していく上で、現代に生きる人々が仏教に何を望んでいるのかをしっかりと把握しておきたいものです。もしかしたら、人々は仏教に何も望んでいないかもしれません。そうだとすれば、何をすることが悩める人々の心を救うことになるのか?いつの時代も、この娑婆世界に生きる人々は悩みや苦しみを抱えながら、一生懸命生きてきました。そうした人々の願いを受け止め、それに応じた形で仏のみ教えを提供し、救いの手を差し伸べていくのが「普度会」をつとめさせていただく上での大切な精神です。我々僧侶にとっては大切な布教の場であると共に、檀信徒の皆様にとっては、仏様とのご縁をつなぎ、深めていくための大切な場なのです。

かつて他県からいらっしゃった老師があるご寺院様の普度会でご法話をお勤めくださいました。その中で老師は「助け合いの精神が薄れつつある現代において、それを再認識できる“普度”という言葉が伏されたご法要があることはありがたいことだ」とおっしゃっていました。「無縁社会」と呼ばれ、本来つながっているはずの人間同士のつながりが見えにくくなり、個人主義が蔓延して、お互いに助け合うことの大切さがわかっているのに、それが実践できずにいる日々を過ごす我々現代人が見失いつつあるものを、180年前の荒れた世情の中に一抹の光を与えた霊松居士の尊い行いから学ばせていただく機会として、「普度会」をつとめさせていただきたいものです。