第2回「“自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心”を発す―どんな境遇であっても―



(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、
(あるい)
天上(てんじょう)にもあれ、或は人間にもあれ、
苦にありというとも、楽にありというとも、
早く自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を発すべし


一般の在家の方であろうが、僧侶のような出家者であろうが、関係なく・・・。

また、

天上界のような不平不満のない幸せな生活を送ろうが、そんな幸せばかりではなく、辛いことも経験しなければならない日常生活を送ろうが(人間界)・・・。

一日も早く
一分でも早く
自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心”を持って生きてほしいと、道元禅師様は願っていらっしゃいます。

“自未得度先度他”を書き下してみると、“自ら未だ得度せざるに、先()づ他を渡す”となります。自分が道を得るより先に、他の人を渡らせましょうということです。

学生時代、富山市内の外れに「支那そば屋」という行列のできるラーメン屋がありました。店の目玉は「塩ラーメン」なのですが、限定70食の人気メニューということもあり、開店前から並ばなければ、食べることができず、そのラーメンを何とか食べようと、よく友人と一緒に行列に並んだものです。「自未得度先度他」という言葉に触れたとき、私は学生時代を懐かしく思い出しました。

100メートル向こう側に限定10食のおいしいラーメンを出す店があれば、ラーメン好きのお客さんならば、我先にと列に並び、そのラーメンを食べたいと思うものです。それが人間の心理なのでしょう。

ところが、“自未得度先度他”の心というのは、そんな我々、人間の心理とは間逆のものを説いています。自分が喉から手が出るほど限定70食のラーメンを食べたいからといって、常に開店前から先頭に立って、他のお客さんに食べさせないようにするのではなく、みんなで分け与えることが説かれているのです。それは、言い換えれば、独り占めしないということでもあります。

自分の人生を振り返ってみると、学生時代のようなラーメン屋の行列に並んでまで、おいしいラーメンを食べることに幸せを感じていた時期もあれば、本山で厳しい修行を経験させていただいた時期もあったり、自信を持って話した法話が、想定外の厳しいご意見をいただき、落ち込んでしまったりと、楽しいこともあれば、苦しいことや辛いことなど、いろんなことが思い出されます。人生というのは、そのときそのときの社会の状況の変化の中で、私たち自身が様々な影響を受け、自分の心や生き方を変化させながら、今日につながっているものだということに気づかされます。

時間が流れるが故に変化を余儀なくされる私たちが、一日も早く、周囲に目配りや気配りができるような生き方に目覚めてほしいというのが、今回の一句が提示するみ教えなのです。