第1回  「修証義(しゅしょうぎ)」とは


「修証義」とは、明治23年に大内青巒(おおうちせいらん)(1845〜1918)が編集した「洞上在家修証義(とうじょうざいけしゅしょうぎ)」を当時の両大本山(福井県の永平寺と横浜の總持寺)の禅師様が編集して作成された経典です。数ある経典の中でも、新しい部類に入るものです。「修証義」に使用されている文言は、曹洞宗の開祖・道元禅師様が記された「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」95巻の中から、重要な箇所を選別して作られたものです。(詳しくは「第2回 正法眼蔵について」でお話させていただきます)

当時の社会は、明治政府の近代化政策によって、大きな変貌を遂げていました。その影響は、仏教界にも多大な影響を及ぼし、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」や「神仏分離令」などの仏教を批判・排斥する運動によって、廃寺もしくは神社になった寺院が続発いたしました。

これまで自分たちの心の拠り所となる経典が存在していなかった曹洞宗では、こうした仏教危機の大混乱の中で、自分たちの支えとなるべき経典を作ることが急務とされ、そんな中から生まれたのが「修証義」という経典だったのです。

「修証義」の役割は“人々の心の拠り所になること”ですから、誰にでもわかりやすい経典であること、つまり、「在家教化」のための経典であることが必然的に求められました。新教典・「修証義」を通じて、明治の仏教危機に瀕した曹洞宗が選んだ
「在家教化」の道とは、一般の方に仏教をわかりやすく広めていこうとする道だったのです。

従来の経典から見れば、比較的分りやすい「修証義」は明治の宗教の危機を救い、今日までお釈迦様のいのちをつなぐ役目を果たすという、多大な功績を残す経典となりました。登場後、100年以上の歳月が流れた平成の世において、そんな「修証義」を味わいながら、現代社会に生きる我々の安楽の道となることを願うばかりです。