第10回「
願わくは速やかに成仏して
仏法の
「成仏」は「仏に成る」ということで、一般的には死後の世界のことだと捉えがちです。確かに、曹洞宗の葬儀では、亡き人を仏様にして、仏界へとお送りしますので、それを思えば、決して、「成仏=死後の世界」という考え方は間違いではありませんが、成仏は死後の世界だけを指しているのではありません。生きている今における、私たち全ての人間の生きていく上での共通の課題でもあるのです。すなわち、私たちが仏様を目標に毎日を過ごしていくことが「成仏」なのです。「成仏」は、まさに「有情の課題」とも言えるでしょう。
「甘露門」では、人々にそうした「成仏」を生きている今のうちに果たすことを願うと共に、「余果を招くこと勿れ」と戒めます。これは、仏の道から外れてはならないということです。仏の道以外のものというと、たとえば、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・天上・人間)というのが仏教では示されています(詳しくはこちらをご覧ください)。これらは私たちが日常の中で、言葉の発し方や行動の出し方を誤れば、たちまち赴くことになる喧嘩などの争いに満ちた苦悩の世界を指します。甘露門を始めとする私たちが目指すべき仏の道を「
そうした「余果」に陥ることがないよう、我が言動を仏様のごとく穏やかで柔軟なものになるよう調えることの大切さを、すべてのいのちに向かって強く訴えるべく、「法界の含識」という言葉が使用されています。これは「有情」とほぼ同義の言葉で、「この世のすべてのいのちある存在」という意味を持った言葉です。この言葉で文末を閉めることによって、衆生に対して、「成仏」を強く願っていることが伺えます。それほどまでに「成仏」が私たちの生きる課題として、重要なものだということです。
そのことを今一度、しっかりと踏まえ、毎日の言動に心を配り、丁寧且つ穏やかなものを提示しながら、成仏していきたいものです。