第2回  「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」について


前回は「修証義」という経典が、人々の心の拠り所となることを願いつつ、在家教化を目的に、当時の両大本山の禅師様が「正法眼蔵」を編集して作ったお経であるというお話をさせていただきました。

さて、今回は「正法眼蔵」についてお話をさせていただきます。これは、曹洞宗の開祖・道元禅師様の1231年から1253年までの23年もの間の説示を著述したものです。道元禅師様が自ら筆を取り、自らタイトルを命名された日本の曹洞宗の教えの真髄です。全部で95巻存在していますが、道元禅師様は、本当は100巻の編述を意図していらっしゃいました。しかし、志半ばに亡くなられたと言われています。


道元禅師様の説示であるという「正法眼蔵」ですが、主に禅師様が多くの修行僧と共に過ごした永平寺を始めとするお寺で修行僧に向かって説かれたお教えです。いわば、修行僧を中心に在家の方まで範疇に入れたものなのです。それに対して、「修証義」は在家に向けて、「正法眼蔵」をわかりやすく編集したものです。ですから、内容的には「修証義」は「正法眼蔵」を編集したものであっても、それそれが目指す目的だとか、誕生までの経緯には大きな違いがあるのです。よく僧侶の世界では、「修証義」と正法眼蔵」が同じ経典がどうかという議論が起こりますが、両者の誕生の経緯に注目すれば、両者が別物の経典であると解釈することができるはずです。

いずれにしても、「修証義」を読みすすめていく上で、「正法眼蔵」を読む必要性は出てきますし、逆に、「正法眼蔵」を読みながら、「修証義」に目を通す必要性が生じます。両者は「違う経典」でありながらも、その関係性は切っても切れない強いものなのです。そうしたお互いの深い関係性を十分に考慮しながら、
次回より、「修証義」の内容に入っていきます。「修証義」は全部で一巻5章から成り立っています。まずは、「總序と呼ばれる「第一章」からお話をさせていただきたいと思います。