不忘念(ふもうねん)”が生み出す「普度(ふど)(助け合い)」

最近は3月というと、3・11の「東日本大震災」を思い浮かべる方も多いのではないかと思います。今年は発生から5年ということで、メディアでは被災地の様子が報道されています。

ブログでもお伝えしましたが、去る2月19日(金)から21日(土)にかけて、2泊3日の日程で被災地である岩手県・宮城県を行かせていただきました。この旅行は日々の生活に追われ、自分のことで精一杯になっているうちに、いつしか震災の記憶が薄れかけていた自分に気づき、大きな反省の場となる大切な旅行でした。

今も尚、津波の爪痕を残す建物を残しながらも、想定外の津波からいのちを守るべく、土を盛って、地面を10メートルの高さにかさ上げし、更に重機で杭を打って地盤を強化している沿岸部を通り、「奇跡の一本松」のある岩手県陸前高田市へ。側にあるお土産屋の方々は苦悩の日々を過ごしていらっしゃるはずなのに、そんな姿一つ見せず、明るく私たちを出迎えてくださいました。一体、そのパワーはどこからやってくるのでしょうか・・・?

宮城県名取市・閖上(ゆりあげ)地区―甚大な津波の被害を受け、900名近い方がお亡くなりになりました。校舎の時計が震災発生時刻である午後2時46分を指したまま止まっている閖上中学校―14名の生徒さんがお亡くなりになったそうです。その生徒さんの慰霊碑をお守りする社務所として、また、閖上を訪れた方々に地元を案内し、震災の記憶をお伝えする場として活動しているのが「閖上の記憶」です。私たちのガイドをつとめて下さったKさんもまた、苦悩の日々を過ごすお一人でありながらも、他への気遣いや心配りが言葉の端々から伝わってくる方でした。「東北を守るために嵩上げされている土も、どこかの自然を破壊して東北に運ばれてきた―それを思うと、申し訳なくなる」とおっしゃるKさん。一体、どこから他を思いやれる温かさが生み出されてくるのでしょうか・・・?

被災地で出会った方々は、日々の苦悩を乗り越え、復興に向けてがんばっていらっしゃいます。私はそうした方々からたくさんのことを学ばせていただき、自己を反省させていただく機会をいただきました。本来ならば、何かしらの支援をさせていただく側にいるはずなのに、逆に、支援していただくことになってしまい、申し訳なく思っています。

3.11の大震災始め、日本の歴史を振り返ってみると、これまで幾度となく自然災害に見舞われてきました。また、更に視野を拡げれば、天候不順による災害や、事故や事件など、私たちに苦悩をもたらす出来事はいつの時代にも発生していたことに気づかされます。

図らずも現行の「普度会(ふどえ)」の起源となった天保期に発生した飢饉も、そうした出来事の一つです。この場合、金沢市内の有力町人のお一人であった能登屋又五郎(のとやまたごろう)氏(宝月霊松(ほうげつれいしょう)居士)
のお力によって、亡くなった方々の供養法会が営まれ、人々の心が救われていったわけですが、大切なことは、人々に苦悩を与えた出来事に思いを馳せながら、自分のことにばかり追われず、周囲にも気を配りながら、お互いに助け合って生きていくことではないかと思います。出来事の規模の大小など、ついつい見た目のことで判断しがちな私たちですが、当事者の目線に立って考えれば、辛い出来事は皆、同じであり、苦しみも同じです。それを忘れずに、寄り添いながら、共に悩み、共に苦しむ姿が「普度」という助け合いにつながっているような気がします。

お釈迦様はお亡くなりになる際、「不忘念(ふもうねん)」という言葉をお弟子様方に遺されました。これは仏法僧の三宝を念ずる(仏と共に生きる)ことを忘れずに日常を生きていくということなのですが、そのみ教えを現代社会の中で考えていくならば、3.11の震災を忘れずに過ごすことも含まれていくように思います。

「震災を忘れないでほしい」、「東北のことを忘れないでほしい」―被災された方々の心の底から発せられる願いです。それに対して、私たちが自分の記憶の中に震災を止めながら日々を過ごしていくことが被災地に対する救いとなるならば、私たち自身が大きく成長できるならば、それが「不忘念」なのです。