「確認」の仏縁


「普度会」まで1カ月を切りました。8月初旬には檀信徒の皆様に参詣のご案内を発送。お盆明けには法要のお手伝いをお願いする市内の曹洞宗寺院のご住職方へご挨拶と宣伝依頼。そして、8月下旬には接待関係業者と当日の打ち合わせを行いました。

檀信徒の皆様から参詣の可否を知らせる返信ハガキに一喜一憂しながら、いつの間にか9月を迎えていました。9月に入ってからは、連日、作務(さむ)(掃除)を行う日々が続いています。窓ふきに草刈り・・・。やり出すとキリがありませんが、「普度会」という仏縁だからこそ、普段、手の届かない場所にも手を加えることができます。また、堂内工事も最終段階に入りました。10年ぶりに堂内の畳を一新し、新鮮ない草″の香りに満たされています。こうした仏縁があるからこそ、お寺をきれいに維持できるんだということを改めて感じております。

今から約180年前の「天保の大飢饉」において、霊松居士(れいしょうこじ)能登屋又五郎(のとやまたごろう)氏)が人々に差し伸べた救いの手が起源となった普度会は、今や宿寺(しゅくじ)(当番寺院)をつとめる寺院にとって、10年に一度巡り合える「確認の仏縁」となっているような気がします。住職が日頃の自分の修行、檀信徒始め、社会との関わり−そうした自分たちの日常を確認してみたとき、自分が本当に社会から必要とされている僧侶かどうか?自分の布教教化がお釈迦様のみ教えを受け継いだものであると共に、社会が求めるものに応じたものかどうか?一人の仏道修行者として自分のあり方を確認するのが「普度会」なのです。

それは檀信徒の方々も同じなのではないかと思います。自分たちの日常を振り返り、仏教徒として、いただいたいのちを正しく生かしているだろうか?仏の教えに従い、周囲の人に喜ばれるような生き方ができているかどうか?一人の人間として、自分の生き方を確認する場となるのが「普度会」なのです。

檀信徒も僧侶も、すべての人が今の自分を確かめ、明るく、よりよい未来を生きていくきっかけとして、「普度会」を迎えたいものです。普度会まで3週間ほどとなりましたが、準備に汗を流しながら、過去の10年を振り返り、未来の10年を描いていきたいと思っています。