第4回「道元禅師様を教化した人C 
天童山の“(よう)典座”」


連日暑い日が続いております。「熱中症」という言葉も最近は暑い夏を表す季語のごとく、私たちの日常生活の中に浸透してきたような気がします。

我々僧侶にとって、暑い夏は雑草との戦いの日々が続きます。この間、取ったはずの境内の雑草はすぐに顔を出してきます。

暑い夏における私の日課も例にもれず草取りですが、高源院の崖地には数々の雑草が植生し、ちょっと手を抜いていると、ものすごい勢いで蔓延り、せっかくの高台の景観を損ねてしまいます。少しでも心落ち着く境内を維持するには、汗を流して草取りに勤しまねばなりません。しかし、あんまりがんばりすぎると「熱中症」になりかねません。ですので、できるだけ朝晩の涼しい時間を狙って、境内の掃除や草取りを行うようにしています。

さて、暑い夏といえば、道元禅師様が若かりし頃、中国の天童山でご修行中に出会った用典座のことを思い出します。太陽が照りつける炎天下の中、用典座は汗だくになって海草を干していました。用典座は天童山の修行僧たちの食事作りを担当する68歳のご老師です。背は曲がり、眉は白鶴のごとき用典座が一生懸命、海草を干すお姿に大きな感銘を受けた道元禅師様は用典座に近づき、ある質問をなさいました。

「どうしてご老師は、このような大変なお仕事を付き人などの若い僧にさせないのですか?」

すると、用典座はおっしゃいました。

「他人がしたことは自分がしたことにはならない。」

用典座の明快かつ端的な回答は誰しも納得がいくものです。道元禅師様も用典座のお言葉に頷きながらも、更に問いました。「なるほど、しかし、何もこんな炎天下の時間でなくてもいいのではないですか?」

それに対して、用典座はおっしゃいました。

「今のタイミングにやらなくて、一体、いつやるというのか?」

道元禅師様はすっかり言葉を失うと共に、用典座から大切な仏道修行のあり方を教えていただいたのです。何も坐禅や読経だけが修行ではないのです。海草を干すには最適な暑い時間帯に、「暑いから外に出たくない」などといった自分の都合や思いを投げ捨てて、海草を干すことに全身を集中させる―。そして、それを自らにいただいたご縁と捉え、自分に与えられた修行として取り組んでいく―。そうした姿勢もまた仏道修行だということを道元禅師様は68歳の用典座のお姿から学ばれたのです。

「自分という人間が本領を発揮して取り組めるものは何か?」―用典座の海草干しのような、これこそは自分の仕事だと自信を持って言い切れるものと出会い、それを生涯に渡って、人任せにせず、自らの手で究め続けていく。そうした生きがいなど、自分が真剣に打ち込めることに出会えたならば、我々の日々の生活は充実したものになっていくのです。