縁起(えんぎ) ―「普度会」に向き合う者の心構え―


不思議なご縁の巡り合わせは、私を覚醒させ、これからの「普度会」への向き合い方を考えさせてくれる貴重な機会となりました。

1955年(昭和30年)4月―兼六園に近いある曹洞宗のお寺を会場に、時の大本山總持寺の禅師様をお迎えして、「普度会創起百二十年記念法要」が厳修されました。その執行に際し、普度会を代表し、法要全般を采配する幹事をお勤めになっておられた二人のご老師が記念誌に一筆認められ、この度、その原稿と出会うことができました。

幹事のお一人であったMご老師はおっしゃいます。

(あま)ねく()す会、これは出家在家の別なく一堂に会して誠心誠意真実心を以て普く一切衆生を度す会であって、(中略)其の寺(宿寺:当番寺院)へ尽くすのではなく普度会と云う機関を通じて広大度衆生心の発露であり、又僧侶としての自己を反省し自己を啓発する大切な機関であると心得ている。」

六十年前の我々僧侶の大先輩方からは、普度会起源台簿にしっかりと目を通された上で、普度会を創建された開祖・能登屋又五郎(のとやまたごろう)氏(寶月霊松居士(ほうげつれいしょうこじ))の願いを、少しでも現代社会に生きる人々に還元していこうとするお姿が感じられます。そして、普度会を仏道修行者である自らの修行と自戒の大切な場として捉えていらっしゃるのです。

幹事として普度会を代表するならば、普度会を熟知してその場に臨む姿勢が大切であるのはもちろん、宿寺(当番寺院)を務め、普度会に携わらせていただく我々各お寺の住職も、M老師のように普度会を自らの修行の場とし、開祖の願いを大切にしながら、「社会との絆を結ぶ場」として携わっていくことが、この先、益々、大切になってくるのではないかという気がします。

仏教の開祖であるお釈迦様のお悟りの根本にあるのは「縁起(えんぎ)」です。縁起とは、この世に存在する全てのものがつながっていて、お互いに支えあい、助け合っていかなければならないということです。それは、あたかも網のごときものです。網は網の目がお互いにつながっていることで形成されています。もし、網の目が切れていたとしたら、網はその役をなし得ません。実は私たちこの世に存在する一つ一つが網の目なのです。それぞれがつながって、人間社会という大きな網を形成しているのです。最近は無縁社会とか孤独死という言葉が登場するようになって久しいですが、これらはお釈迦様がお示しになられた縁起とは全く真逆の現象です。そうした現象が登場すること自体を我々宗教者は重く考え、もっと縁ということを説いていかなければならないように思います。

そうした中で、普度会を通じて言えるのは、開祖・霊松居士の願いは「助け合って生きていくこと」です。網の目である我々一人一人がお互いのつながりを実感し、支え合っていくということです。それが普度会の原点であると捉えたとき、その原点はお釈迦様の縁起のみ教えにも通じることに気づかされます。そして、M老師始め、普度会を受け継いでこられた方々も、同じことを願ってこられたのではないかということにも気づかされます。

今年(平成28年)も間もなく終わろうとしています。今年は「普度会」の宿寺を務めさせていただくに際し、普度会をテーマに一年間、いろんなことを考えながら過ごしてまいりました。この間、2日間に渡り、普度会のお説教をつとめさせていただいたこともあり、かほどに普度会について考えた年はなかったように思います。

しかしながら、この1年で得たものを大切にしながら、この先、普度会を通じて、お釈迦様と世の中、お釈迦様と人々、そうしたお釈迦様と網の目である我々一人ひとりとのご縁の架け橋を築きながら、皆がよりよい日常生活を送る一助を担えたらと思っています。

一年の最後にこうした考えに及ばせてくださった60年前の2人の大先輩には只々、感謝申し上げるばかりです。