感応道交(かんのうどうこう) −双方の心が通じ合ってこそ―」


此帰依仏法僧(このきえぶっぽうそう)の功徳必ず感応道交(かんのうどうこう)する時成就(じょうじゅう)するなり



仏法僧の三宝に帰依することによってもたらされる功徳は、「感応道交(かんのうどうこう)」によって完成されると道元禅師様はおっしゃっています。「感応道交」―今回の一句を紐解いていくうえでキーワードとなる言葉です。今回はこの言葉を触れながら、道元禅師様のみ教えに味わってみたいと思います。

子どもの頃に公園の砂場で砂山を作り、トンネルを掘って遊んだ経験は誰しもあるのではないかと思いますが、なぜ、砂山にトンネルが掘れるのでしょうか??それはトンネルを掘る者同士がお互いにトンネルを掘って山を通じ合わせようという気持ちがあるからです。だから、どんな山であってもトンネルが掘れて、通じ合うことができるのです。「感応道交」とは、こうした砂山のトンネル掘りのようなものです。私たちと仏法僧の三宝、双方がトンネルを掘って、お互いの心が通じ合ったとき、三宝帰依の功徳がもたらされると道元禅師様はおっしゃっているのです。

ここで抑えておきたいのは、仏法僧の三宝は常に我々人間に向かってみ教えを発しているということです。三宝は常に、誰に対しても差別することなくトンネルを掘っています。

それなのに、仏のみ教えを受け取れていないと感じるのはなぜでしょうか?

それは我々の方が三宝に向かってトンネルを掘ろうとしていないからです。すなわち、お釈迦様は平等に我々衆生にみ教えを発しているのですが、そのみ教えをいただく我々一人一人の機根や理解力、人生経験等に違いがあるため、受け取り方に違いが生じてしまうのです。

同様のことをお釈迦様は法華経の「薬草喩品(やくそうゆほん)」の中で説いていらっしゃいます。雨は草木を平等に潤しているのに、雨の恵みを受け取る草木にはそれぞれ違った存在であり、異なる育ち方をすると―しかしながら、草木が雨の恵みをいただいて、自分のいのちを最大限に発揮しながら伸びていくように、我々人間も仏のみ教えを一心に受け止めていけば、その人間性が磨かれ、仏の悟りに近づいていくというのです。

こうした仏法僧の三宝と感応道交しながら、少しでも仏の悟りに近づいていけるようにしたいものです。そして、三宝との感応道交を通じて、周囲の人々始め、様々な存在との感応道交を目指していきたいものです。自分の考えが正しいと思えば思うほど、人間は自分の意見を相手に押し付けてしまいます。しかし、相手にも考えや性質があります。相手のトンネルの掘り方を注視しながら、お互いの間に存在する山にトンネルを掘っていきたいものです。それは、相手の言葉や態度など、相手が発するものを確かめながら、自分の意見を発していくということです。