遠離(おんり)」のみ教え 
―“冷静になる”ことの大切さ―

連日に渡る新型コロナウイルスの報道に触れるたびに、「この世は苦しみの世界である」というお釈迦様のお言葉を強く実感します。

2月の終わり頃、「コロナウイルスの影響でトイレットペーパーがなくなる」というデマが流れたとき、東京都内のドラッグストアに12年間勤務している女性店員さんがデマが流れるまでは笑顔で穏やかに買い物をしていたお客さんたちが、デマが流れた瞬間、表情や態度が荒々しいものに一変するのを目の当たりにし、「コロナより恐ろしいのは人間である」とおっしゃったことが思い出されます。

「ウイルスが広がっているのではありません。人間がウイルスを広めているのです。どうか政府のガイドラインを守ってください。」SNSでそう呼びかけたのは、イギリスで21歳の若さでコロナウイルスに感染し、お亡くなりになった女性の親族の方です。故人には基礎疾患等はありませんでした。


未知なるコロナウイルスは世界中に不安を与えていますが、有識者は口をそろえて「様々な情報に一喜一憂せず、冷静になって正しい情報を取得するように」と呼びかけています。これは約2600年前に仏教の開祖であるお釈迦様がお示しなった「遠離(おんり)」のみ教えとも合致します。

‟遠く離れる”と書いて、「遠離」ということなのですが、お釈迦様は決して、毎週日曜日の夜に放送されている「ポツンと一軒家」のような、山奥で一人静かに暮らすことを推奨しているわけではありません。私たちはヒトやモノ、大自然等、様々な存在と関わり合っているがゆえに、ときにトイレットペーパーのデマのように人々を惑わせ、混乱させる存在と出会うこともあるのです。そうした存在に出会い、自分の身心が混乱しそうだと感じたならば、すぐに遠く離れて冷静になり、再び関わりの中に戻っていくというのが、「遠離」なのです。

立派な大木が倒れるは鳥の大群や強風、刃など、外部から何らかの力が加わったときです。恐ろしいのは大木を倒す存在です。ウイルスよりも周囲の情報に惑わされている人間の方が恐ろしいのです。そのことに気づき、少しでも冷静になりたいものです。

そして、この先、コロナに限らず、人々を脅かす存在に出会う可能性は0ではありません。もし、そうした存在に出会ったとき、コロナで学んだ「遠離」の教訓を思い起こし、冷静に対処していきたいものです。 
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