四諦八正道②
―お釈迦様の“正しさ”とは―
-「原因があれば結果がある」-
-「今の結果は過去の自分の行いによってもたらされたものである」-
これが仏教の説く「因果の道理」です。ということは、私たちの苦しみにも、それを生み出す原因があるということになりますが、各種苦悩の原因を突き詰めていくと、それが「煩悩」であることに気づかされます。
煩悩とは、「貪り・瞋り・愚かさ」という、欲望や感情がコントロールできなくなることであったり、「因果の道理」のようなこの世の絶対の法則に自分の好き勝手な解釈を混ぜ込んで認めようとしない態度のことで、誰しも生きている限り、完全に無くすことはできません。煩悩が無くなるのは、私たちの肉体が消滅したとき、すなわち、あの世に旅立ったときです。ということは、人間が生きていくということは、自分の煩悩とどう向き合うか、どう関わっていくかということになるわけで、その方法を説いているのが仏教なのです。仏教では私たちが身心を調え、煩悩を言葉や行いにして表に出さないようにと説きます。そうやって煩悩が調整され、私たちの苦悩が縮小していくのです。
この世が苦悩の世界であり、その苦悩を生み出す原因の存在に気づくことができたならば、具体的に苦悩を滅する(縮小化)する方法を体得していくことになります。それが「八正道」です。8つの正しい道があるということなのですが、この“正しい”とは、一体何なのでしょうか。考えてみれば、“正しい”は簡単そうに見えて、難しいものです。なぜなら、時代によって、国によって、正しさが違うからです。そんな正しさについて、お釈迦様がお示しになった“正しい”とは、〝偏らないこと〟です。一つの物事に対して、自分の好みや価値観で「好悪」や「良し悪し」のように分別して捉える私たちですが、そうした分別が差別を生み出し、否定した存在への価値を認めさせないのです。
そうした自分たちの習性をしっかりと踏まえ、下記一覧の8つについて、偏らず、周囲の全ての存在に対して、平等で差別なき下記の行いを心がけ、日々の生活の中で意識して行っていきたいものです。
① |
正見(ものの見方) |
② |
正語(言葉の発し方) |
③ |
正思惟(ものの考え方) |
④ |
正命(生活の仕方) |
⑤ |
正業(行動) |
⑥ |
正精進(努力の仕方) |
➆ |
正念(記憶) |
⑧ |
正定(姿勢) |
そうすることで、煩悩が調整され、言葉や行いが調っていきます。そして、苦悩の世界の中にいても、明るく前向きに毎日を過ごすことができるようになってくるのです。 【第3回へ】
|
|