放てば手にみてり

「せっかく準備したのに~」といった、自分の労苦が報われたいという願いは自我や我欲という言葉で表現できるでしょう。そうした自我・我欲に捉われていれば、中々、苦悩から解放されることはありません。そんな人が多いような気がします。

そんな私たちが注目しておきたい考え方が「自然に任せる」ということです。前回、全日本アーチェリー連盟の宮崎利帳(みやざきとしはる)理事長のお言葉をご紹介させていただきました。まさにあのお言葉こそが、自然に任せるということであります。そして、禅のみ教えもまた、同じことを説いており、古の禅僧方によって、数多のみ教えや言葉が残されています。その一つが「放てば手にみてり」です。これは一点にだけ捉われ、執着しているものから離れ、自然の流れに身を委ねてみると、身にも心にも安楽が訪れるということです。

ある中小企業の人事異動に関するお話です。勤務経験5年、年齢は20代半ばの社員・鈴木氏(仮名)が数名の同期の社員の中から特に上司に能力を買われ、現場主任に昇格しました。異例の大抜擢でした。鈴木氏は2年間、主任を務め、今は一社員として働いています。2年での降格は、氏が何か不正を働いたか、問題行動が多かったかと思われがちですが、そうではありませんでした。氏が主任職2年目に入ったとき、氏を抜擢した上司が一身上の都合で退職し、新しい上司が来ました。その上司は鈴木氏の経験年数や年齢を加味したとき、もう少し、現場経験を積んでほしいと願い、話し合いの上、降格となったのです。

鈴木氏は当初はこの人事に納得がいかず、悶々とした日々を過ごしました。しかし、数ヵ月後、鈴木氏はこれでよかったと思えるようになったのです。「主任時代は主任業務に追われ、現場で顧客や他の社員と関わる時間が十分に取れなかったが、役職から外れたことで、それが叶い、改めて自分の仕事に生きがいを感じられるようになった。」と―。鈴木氏は“主任という肩書”に捉われていたのです。自分が何人もの同期社員の中から特に高評価されて、主任に抜擢されたんだということを支えにして、厳しい仕事に励んでいたのです。それが主任という肩書から放たれ、一社員として現況に我が身を任せて働いてみたことで、安楽を得ることができたのです。それが「放てば手にみてり」ということなのです。

鈴木氏のように、日頃、気づかぬうちに何かに捉われ、それによって自分の首を絞めている存在があるかもしれません。そうした自分を縛り、自分を苦悩させる存在に気づき、そこから離れ、自然に我が身を委ねてみる習慣をつけていきたいものです。     
                       【おわり】